5歳おめでとう

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「昨日、下に行った時、家が真っ暗だったから、こんな天気悪いのに出かけたんだとは思ったけど、いつもならカルロが吠えるのに、静かだから、変だなと覗いてみたらね、カルロ、ソファーの横にぽつねんと座って、しゅんとしてたんだよ」

一緒にいるときのカルロは超わんぱくハイパーわんこで、いつも私のそばをうろつき、時々鬱陶しいこともある。
なにせ、トイレも一緒。子犬の時からトイレも付いてきて、ぴったり横に寄り添っております。

私がいないとき、彼はかなりビビリ犬らしく、子犬の時からほぼ毎日会っている店長にまで怯えて、逃げたり、そうかと思えば、寄り添ってきても、震えながら悲しそうに見上げて、その顔がまるで「マンマ、どこ? どうしていないの? どうして帰ってこないの?」と訴えかけるような表情をするらしい。

お出かけの際に預けるペットホテルから一度送ってもらった「元気に遊んでるよー」な写真は、寂しげにうつむいて、絵柄はまさにシェルターに捨てられた保護犬。。。。汗

そうかと思って、急遽ピサに行った週末も、1日だけだからと思って、上の階の店長にお願いして出かけた時も、やっぱり、鬱っちゃってお散歩にも、遊びにも出てこない。
出てきても、ずっと悲しげに店長を見上げたらしく、それ以来店長も「家においておくとさ、マンマが帰ってこないって心配するから、返ってミカがいないペットホテルの方が、カルロも吹っ切れると思う」と。

確かにピサに行ってた私に店長から送られてきた写真のカルロは、みた事がないほど悲し気で、不安な顔をしていた。

本当は柴犬が欲しかった私のところに、思いがけなくやってきたカルロくん。
彼をお迎えに行った時も、正直、気に入らなかったらどうしよう・・・・と揺れる心で初めて見た彼は「でかっ! ブサイク!」
でも生後2ヶ月ですでに出戻りくんと聞いて、もう後には引けない。
何が何でもこの子を引き取らないと!と使命に燃えちゃってから、もうすぐ5年が経とうとしている。




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でかいと思ったけど、
実は、こんなにも小さかった。



カルロを見ていると、本当に神様は私にぴったりの子を送ってくださったんだなって常々思う。
でかいと思った子犬は、実はあの時は、それなりに小さかったのだけど、あっという間に大きくなり、自己主張も激しいし、とにかく甘えん坊で、何より一番は、私と一緒に居たい。
こんなにただひたすら、「マンマと一緒💌」と毎日毎日、求愛されちゃうのは重いが、カルロが来た頃の私自身が愛情を注げる対象が欲しかった。
人は心変わりをするものであるし、不信感や喪失感で一杯だったあの頃。
もろもろの叶えられなかった願い、過去に押し潰れそうだったあの頃。

あの時、探していたのは変わらない気持ち、そしてピュアな「大好き」と、だから「そばに居たい」
シンプルなことなのに、これが人間同士だと、なぜか、そして妙に難しい。

5歳のバースデーと嬉々とキャンドルに火を灯す飼い主ではあるが、当然、犬であるカルロは火が怖いので、大好きなご飯に早く食いつきたいのに、余計なことしやがってと言いたいところだろう。

カルロが我が家にやって来て、もうすぐ5年、もう5年も毎日毎日笑顔をくれたんだ。
5歳のお誕生日は、生まれて来てくれてありがとう。
我が家にやって来てくれてありがとう。
5年分のありがとうの日、こんなにも大切な存在がそばに居てくれる、ありがたみを噛み締めちゃう日だもんね。

5歳、おめでとう!







最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



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by viabellaitalia | 2018-10-30 02:14 | Bau Bau Park | Comments(0)


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イタリア語で何?と言う意味のCosaと言う名前を持つ古代ローマ都市。
Antica città romana 古代ローマ都市とここでは呼びますが、紀元前273年に作られた多分、エトルリアの人もローマ人も混在して住んでいたであろう、ラテン法でローマ市民と外国人の間、どちらとも言えないグレーゾーンの町だそうでございます。
名前のCosaと言うのも、今でこそイタリア語の何?ですが、多分エトルリア語起源ではないかと。
多分、多分・・・・・・って、この町に発掘もまだまだ、これか。調査も・・・・・いつになるんでしょう?なくらい謎がいっぱいなんです。

この町は共和制、帝政ローマ、さらに中世まで続いたのに、最後には人口減少により捨てられ、、すっかり忘れ去られたまま、ずっと森の奥にひっそりと存在していたそうです。第二次世界大戦の時に、この町を発見したのはドイツ軍。高台の神殿が立っていた場所が、海に向かって開けているために、偵察に非常に適していたため、戦略起点として使われたそうです。
戦後すぐに始まった発掘調査はローマのアメリカンアカデミーが担当をしたようで、なにせイタリアは他にもいっぱい発掘調査を待つ場所もあるし、有名どころのポンペイなどにどうしても優先順位が行ってしまって、地方の遺跡は後回しのまま、これまた忘れ去られるんですよね。汗

さて、入場チケットを買い、管理事務所を出てすぐに古代ローマ時代の屋敷跡がある。
「ここはスケルトンの家と、私たちは呼んでいます。なぜスケルトン(骸骨)かと言いますと。。。。」とガイドさんが、説明を続ける合間に、なぜか私の顔をまじまじと見る。

「すみませんね。遺跡の発掘調査もあまり進まない中、人が勝手に入っちゃわないように、とりあえずで柵付けちゃって、見にくいかもしれませんが、中央にローマ時代の家の典型でもある中庭だったスペースがあります。」





指し示す場所に視線を向ける。

「中庭には井戸がありまして、調査の時に、そこから人骨が出たんです。


「なぜ、そんなところから人骨が出たのかの調査も、まだなんですけど、現時点でわかっているのはこの骨は・・・・・東洋人らしいんです。



古代ローマ都市の遺跡に東洋人の骨?????????



と、ここで改めてガイドさんと私の視線が重なっちゃったり。笑

「なにせ予算がなくって、発掘も調査も全然進まないので、はっきりとしたことは、まだわからないんんですが、事故で落ちたとか言う感じでもなく、この家は紀元前90年くらいに建てられ、紀元前70年ごろに、火事か何かで消失しているようなんですが、この人骨も同時期に井戸に埋葬されたようなんです。」

最初は、多分マフィア絡みの殺人事件かと思ったけど、なにせ何世紀も忘れ去られた町の中の一つの家の井戸の中。2000年分の土が重なり、その上に森に浸食されてた訳だし、さすがに現代の殺人事件というものでもなさそうです。

それにしても、共和政ローマ時代の町に東洋人????????

えーーーーーーーーーーーーーー!!!!!と思うけど、当時すでにローマの上流階級の人たちはアジア産のシルクを着ちゃったりしてたので、交易の中でアジアからこんなに遠くの国まで来ちゃったのかしら?

ちょっと時代は違うけど、カトリックの聖人、アッシジの聖フランチェスコも、確か、お父さんが絹織物の商人で買い付け先のフランスで妻を迎え、イタリアに連れて帰って来た。という例もある。
だから生まれた息子はフランス人という意味でフランチェスコということをどこかで読んだ記憶がある。
聖フランチェスコさん、実はハーフなんですね。


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水道設備



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まあ、それはさておき、スケルトンの家の人骨は男性だそうです。
時代は、もっともっと便利になってからではあるけど、私の母方の祖父も若い頃はブイブイ・・・・じゃなかった、世界を回ったそうで、ベネツィアのコーヒーは美味い!というのが口癖だったらしい。

この人骨も2000年以上も前の逆マルコ・ポーロ、冒険家だったかもしれませんね。
早くちゃんと調査が進んで、こう行ったミステリー明らかになってほしいですね。


本当にこうした小さな地方に分散する遺跡は発掘調査の予算がなく、管理も難しいのが現状です。
ここの公園管理の園長さんが一人で発掘調査の資金繰りに奔走し、毎年1、2ヶ月ほどフィレンツェ大学の学生さんたちが発掘作業をしているそうで、公園のあちこちに「この夏、掘ったところ。でも調査はこれから、来年また再開です。」な場所ばかり。汗
公園内を案内してくれた方は、本当はガイドではなく、警備の方だそうで、8月のバカンス最盛期、当然ガイドさんたちも交代でお休みを取る時期、予算節約で警備の人も即席ガイドさん。
「すみませんね。学がないもんで、ちゃんとお伝えできるか・・・・」なんて恐縮してたけど、毎日働いている場所ですから、ガイドさん並みによく知っていらっしゃる。
またガイドさんとは違う、公園運営の観点も交えて案内してくれて、興味深い話も聞けたと思います。

「ここみたいに小さく、ポンペイのような華々しさもない遺跡は予算がつかないので、調査どころか、荒らされないように守るのでさえ大変なんです。園長が時々予算を取ってくる以外は、入場チケットが主な収入なんです。でも、これがね、時々グループだから負けてくれって値切られちゃうんですよ。たった2ユーロのチケットを値切られちゃうと、本当に経営苦しんです。」

そりゃ、そうだろうよ。汗

「どうか、コーザのこと広めてください。コーザのこと忘れないでください」警備兼ガイドさんの最後の言葉が忘れられない。








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by viabellaitalia | 2018-10-25 00:54 | Comments(0)

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うちのロメオ、いや、カサノバ男 カルロがまたもやお隣のお庭へ珍入いたしました。

お隣さんのたまに里帰りしてくる息子さんはフレンチブルドックのかわい子ちゃんを飼っている。かわい子ちゃんの名前はスーリーちゃん。
カルロのタイプのお転婆さんで、この二匹、ひと目、いやひと嗅ぎで恋に落ちてしまいまして。
小心者のカルロは、普段から狭いところにまず、入り込まない犬なのに、愛の力はすごかった。

引っ越しから半年、今までそんなところに頭を突っ込んだこともなかった隣の庭との境界線の垣根の中をかき分けて侵入しちゃって、仲良く二匹でお庭を駆け回っていたところを発見。

ベットインする前だったのにホッとした日本人のマンマでございますが、その週末、急遽境界線に網を張りました。
スーリーちゃんのご家族も、すわっ!!!嫁入り前の娘に!!!と大慌てで、アブルッツォのお家に帰っちゃったので、スーリーちゃんの匂いが雨で消されて、だんだん薄くなっていき、カルロも、そんな淡い恋を忘れたようでございました。

あれから半年。
10日ほど前にお隣さんとばったり会った時、「カルロ、スーリーが数日中に来るよ」と。
「気をつけなきゃねー。」と言うお隣の奥様に「大丈夫よ。この前の後に網を張ったので大丈夫」とかるーく余裕をかましたあたくし。

スーリーがやってきた日、庭で遊んでいたカルロがお隣の方向を見て、鼻を鳴らして泣く。
何やってるの?と外を覗くと、壁向こうのお隣さんから、フレブル特有の「ブヒ ブヒ!」が。

なんとこの二匹、壁越しに愛を語っていたらしく、網があるから大丈夫と思って、放っておいたら、あっという間に、怖がりのカルロが網が足りてなかった垣根の木の幹のほっそーい穴を見つけて、潜ってお隣に珍入。

お隣さんたちの「あれ!!! カルロ!」と言う声で事態を知り、大急ぎで引き取りに走る。

幸い、スーリちゃんが庭に入れないようにしていたため、この毛深い恋人たちは逢瀬を楽しむことはできなかった。ほっ・・・・・・。

血統書付きのスーリーちゃん、飼い主さんたちが望む恋人は、ちゃんとした血統のフレブル王子。
カルロは名前こそカルロ8世ではあるが、どこの馬の骨かわからん、雑種王子はダメなのよ、カルロくん。

毛深い恋人たちを引き剥がすと、二匹ともお互いを呼び合い泣きまくる。
主人公は二匹の犬であるが、シーンはマジ、ソープオペラのノリである。

「待って! 行かないで!!! アモーレ!!!」

「すまない。。。。ピッコラ ミア。リードを噛み切り、君の元に駆けて行きたいけど、僕たちの間には鉄門が!!!!」

しばらくはお隣のジーノから、スーリーが妊娠したので、責任をとって子犬をもらってくれ、なんて言われないかドキドキもんであった。
もおおお、突然 おばあちゃんになっちゃうところだったよ。
呑気な上の階の店長は「カルロ、大丈夫だよ。子犬が生まれたら、ボクが一匹もらうからね」て違うって!

今回も、幸いスーリーはすぐアブルッツォのお家に帰った模様で、日に日にスーリーの匂いが薄くなるのとカルロが、隣の庭の方を見つめることもなくなった。

カルロが今回使った通り抜け穴も、新しい網を買ってくる前にひとまず、いろんな鉢をおいて塞いだし。


なんとか日常が戻りつつあるね・・・・なんて思っていた今日、お昼休みにカルロはまたちゃっかりお隣の庭に珍入。

すぐ気がついたお隣さんのジーノに連れ戻されたカルロくん。
「すみませーん!!!! もおおおおお! カルロ! ダメでしょう!」

「スーリーもいないし、大丈夫だけど、僕がいない時だったら、カルロ、家に帰れないし。ちゃっかりうちの庭でおしっこしてたよ、わっはっは」

ジーノに平謝りしている時、ふと足元のカルロを見やると、カルロが私の方を見て、ニヤッと笑った。

こいつ・・・・・知能犯か?







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by viabellaitalia | 2018-10-18 02:09 | Bau Bau Park | Comments(0)

Cosa?


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Cosa(コーザ)(具体的な)事、 (抽象的な)事象、出来事、事柄、行動・・・・・
Che cosa? (疑問代名詞として)何が、何を 
口語だとCheを省略して、しばしばCosa だけで なあに?と疑問代名詞として使う。


夏休みのある日、トスカーナの島にあるネロ皇帝の邸宅を見に行こうと、朝早くピサを出発したのに、島に渡るフェリーが出る港の手前の10kmですごい渋滞にハマり、みごとに船に乗り遅れた朝。

そう、港についたのが、船が出港時間 Just on timeである。

「ついてない!!!!!」とピサーノ氏のクサる気持ちはわからなくもない。
この船に乗りたくて、2時間半も車を飛ばしてきたのだもの。
ってか、島まで日帰りしようとするのも、すでにすごい。

が、あたくし、実はこの時トイレに行きたかった。
船に乗ったら、トイレにダッシュしようと思っていたのに、あてが外れてしまい、大至急どこかバールにでも立ち寄りたいいいいいいいい!!!!と申し出るも、ピサーノ氏、「だってここ車止めれないだろう!」プンプン!と郊外へ向かってハンドルを切る。

ぎゃああああ、漏れちゃう漏れちゃう!と大騒ぎで、目にしたガソリンスタンドに突っ込んでもらい、事なきを得る。

さて、ほっと一息ついて、さあ、どーしましょうか。

せっかくここまで来たしね。

「どっか見たいところある?」と聞かれても、まず自分がどこにいるのかわかってない。汗 地理弱いんですぅ。
こういう時のために普段から行って見たいところをGoogleマップに保存してあることを思い出す。

近くに見たいと思ってたネクロポリス、ありまっせ?

「うーん。。。。。あ! そうだ!」

「Antica città romana di Cosa! Cerchi su Google di Cosa!


さて、皆さんは、これを一発でわかった方はすごいです。

なんだったっけ! ほら! 古代ローマ都市 なんちゃらってあったよね! グーグルで探して見て?」とあたくしの脳みそ自動翻訳機がしちゃったために、車の中で大喧嘩勃発でございます。

Antica città romana di…cosa? 古代ローマ都市…..なあに?と返すと

ピサーノ氏が「Si! Di Cosa! そう、ほら、コーザ(なんちゃら)!」と言うので、

だーかーらー!!!!! なに!!!(Cosa!)

ピサーノ氏も「だーかーらー!!!! 言ってるだろ! Cosa(コーザ)だよ!」

だーからああああああ!!! Cosa( 何ちゃら)じゃ、わかんないって!!!!!!

「たあああああああ!!! 携帯かせ! 俺が探す!」

じゃあ、最初っから自分で探せよっ!!!と言いたいところをぐっと飲み込む。

「Antica città di Cosa 古代ローマ都市 なんちゃら(コーザ)」と入力するピサーノ氏を、そんなアバウトな検索があるんかい!と鼻息荒く手元を覗くと、

あれ? 




なんと・・・・・・古代ローマ都市のお名前がCosa コーザだそうです。。。。。

と言うことで、今回のCosaコーザは 何?ではなく、地名、固有名詞でございました。
こんなんあり?

イタリア語の意地悪。






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by viabellaitalia | 2018-10-16 01:05 | Buon viaggio通り | Comments(0)

ヴェネト州のプーリア王

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Photo by https://www.panorama.it




ドロミテからトスカーナに帰る日「レディプーリアに行きたいんだけど・・・・いい?」とピサーノ氏。

Re di Puglia?

「Re di Pugliaじゃなくって、Redipugliaだよ。」

というのもRe di Pugliaと書くと プーリア王という意味になる。
南イタリアのプーリアに王さまなんていたっけ?????

「そういう地名で南イタリアのプーリアとは関係ないんだよ。第一次世界大戦の戦没者が祀られている記念墓地があるんだ。」

せっかく近くだし、行ったことないからと。
私もこんなに北のイタリアに来たのは初めてですから、どうぞどうぞ。お供いたします。

それにしても涼しい、いや寒いとも言えたドロミテの温度に身体が慣れちゃって、下界のヴェネト州が、もうめちゃくちゃ蒸し暑い。どうやらこの日は40度近くまで気温が上がっていたらい。

レディプーリアの戦没者記念墓地までGoogleナビでたどり着いたら、すっかりお昼ご飯時間。
じゃあ、まず腹ごしらえと入った食堂で、たらふく、しかも白ワインもいっぱい飲んじゃったのが、この後の敗因となってしまうなんて、この時は思いもしなかった。

お腹ぱんぱんだったので、広い敷地内、しかも小高い丘の斜面を使った記念墓地を歩き回るとほどよくお腹がこなれるね。なんて思っていたのが仇になりました。

なんと正門から入ろうとしたら工事中なのか、ぐるっと網がめぐらされちゃって入れない。

「せっかくここまで来たのに、嘘だろおおおおおお!!!!」となんとピサーノ氏、正門横の茂みに入り込み突破口を探そうとする。

こんな暑い日にまじかよ。

しかも横の茂みの下は線路が通っていて、いきなりがっつり崖でございます。
おいおい、無理だって。

無理だよ。帰ろうよという私に背を向け、すたすた歩き始めるピサーノ氏。
こらこらどこ行くんじゃ!

なんとそこから数百メートル離れた駅に入り込み、ホームを超え、駅裏の土地から記念墓地の方向に戻り、森の中に入って突破口を探す・・・・・・。

お願い、こんなところでサバイバルトレッキングしないでええええええええ!!!
森の中の丘を越えて行こうする彼に、「私、ここで待ってるから、行って来て」と匙を投げる。

ええええええ、そんなこと言うなよ。行けるよ、大丈夫!

って行けません。行きたくない。怒

と住宅街の外れの森の中で押し問答。諦めた彼が「グーグルマップでどこか、中に入れる道探してくれない?」と言うので、探してみると墓地の頂上付近に記念堂の教会があるようで、これが裏門になっているようである。

よし!とピサーノ氏、今度はまた数百メートル戻って正門前に止めた車まで戻り、裏門にまで車で登る。

が・・・・・教会からの裏門も工事用のネットが張られていて、記念墓地には全く入れない。
かといって、中で工事しているようには見えないところが、The イタリア。
多分、維持するのに、または管理の人員を割けないので閉鎖している感じである。

「今日はついてない!」と言うピサーノ氏に、仕方がないよ。またいつか来ようよと言ってみるも、聞く耳持たん。
なんとか入れないか裏門の周りも歩いてみるも突破口なし。
そうこうしているうちにである。。。。いきなりピサーノ氏、工事用の簡易バリケードを動かしちゃって、するっと隙間から入り込んじゃったわけで。汗

ちょ!!! そんなことして、入っちゃったらダメでしょー!!!!!
「おいでよ。君に見せたいイタリアの歴史の1ページなんだよ。」と言われて、小心者の日本人はびくびくもので入り込む。

記念墓地なので、きっと管轄は軍だもの、不法侵入しちゃったら捕まっちゃうでしょー!!!!とドキドキもんであるが、ピサーノ氏はまるで、彼の友人、彼の先祖のお墓にお参りに来たみたいに感動しちゃってる。
ねえ・・・・・ドロミテの山のどっかで、何か拾って来てないよね? 滝汗



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内緒の一枚 汗




記念墓地はひらけた小高い山の斜面一面を使って作られたもので、ローマのエウル地区のファシズム建築様式に似ている。
実際、完成式にはムッソリーニも出席したとある。
山の斜面の全面にまるで、大階段のように並ぶ白い大理石の墓標は100,000基。
裏門の教会には、さらに40,000人の無名の戦没者たちが祀られている。
合計で140,000名。 イタリア北部にはここのような第一次世界大戦の戦没者を祀る記念墓地が各地にあると言う。
ピサーノ氏、実はその昔、士官学校に通っていた経歴があり、この記念墓地は特別な思いがあったようで、どうしても、どうしても、ここまで来たからには見たかったらしく、帰り際に墓地に向かって敬礼しとった・・・・・・。汗

それにしても・・・・・暑い。日陰がどこにもない上に白い大理石の照り返しで、気分はフライパンの上である。
8月の太陽がさんさんと照りつけ、無性に喉が乾いて来た。

そろそろ帰ろうかと車に戻るが、さて、帰り道がわからない。
来た道を戻るのもと、わざと反対方向にハンドルを取ると、なんと記念墓地の丘の裏側は、当時の戦場跡だそうで、ポツンと標識は立っていたけど、きっとほとんどの人が知らないのではないだろうか?
実際、見た目も保護柵も何もない、ただのだだっ広い原っぱである。

嬉々と車を降り、原っぱに入り込むピサーノ氏の後を追う。
大戦時の塹壕跡を見つけ、その中を歩く。
100年前、この狭いくぼみの中を兵士たちが行き来していたんだろう。

日本も第一次世界大戦には参戦しているが、遠い地の戦いで、日本の国内には戦場跡などはない。
生まれて初めて見る塹壕や戦場跡の、ざわざわした感じにジトーっと汗が出てくる。
喉が乾きすぎて、飲み込むツバさえない。

実はお昼にワインを飲みすぎた状態で、暑い中を動き回ったため、この時、熱中症になりかけておりました。
この後、ダッシュでバールに駆け込み、スポーツドリンクを爆飲みして、生き返りました。



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暑さでやられた、連れてこられた宇宙人。







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by viabellaitalia | 2018-10-12 00:59 | Comments(0)

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「まだ夕食には早いか・・・・ちょっとコーヒでも飲もうか?」とピサーノ氏が立ち止まったのは、ジェラテリア。

先日、9時ちょい過ぎに行って、「もうキッチン閉めたので」と断られたアーッレゲのビアホールにこの日はリベンジがしたく、なにせ9時にはオーダーストップですから、遅くならないようにソットグーダの自然公園も途中で帰ってきたけど、やっぱり、まだ夕食にはちょい早く。

店先にジェラートのハリボテさんが出てたけど、中はバール兼ジェラテリアで、ゆっくり座るスペースもある。

「お! グラッパもある! ちょっと味見しない?」と彼が指し示す先、バールのカウンター向こうのキッチンスペースに何やら瓶詰めが並べられている。

グラッパと訊いてイメージするのは、お店でよく見かける細長いビンに透明の液体。
のはずが、ここは何やらずんぐりとしたビンに入った色とりどりの液体。しかも中に果実が沈んでいる。
多分、日本でいう果実酒。アルコールに果実を漬け込んだ梅酒みたいなものがずらっと20種類ほど。

そう言えば、ホテルのバーカウンターでも毎晩、食後酒にグラッパを頼むと何味にします?と聞かれていたっけ。
山で取れるブルーベリーなどをリキュールと漬け込んで果実酒を作るのも、トスカーナのピサーノ氏のおうちも作るようだけど、北に行けば行くほどこういう習慣があるようで、ローマあたりじゃ・・・家庭で作るとしてもリモンチェッロくらいですね。

20種類もあるグラッパ、何にすると言われても、かなり迷う。
ひとまず、ピサーノ氏は「俺、プラム!」と即決したので、じゃあ、私はラズベリー。

小さなグラスに、ちゃんと果実も入れてくれる。これが、本当にちゃんとそれぞれお味が異なって美味しい。



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この日も朝からずっと歩いていたので、こんな小さなグラスでもお味見で2種類飲むと、ちょっとほろ酔いだったのに、トイレに立った後にちゃっかりもう一杯、今度はイチジク味がテーブルで私を待っていた。汗



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これがね、びっくり! イチジクと思いきや、お味が梅酒。
これからは梅酒飲みたくなったら、これを買えばいいんだ!と思ったけど、ローマのどこでいちじくのグラッパなんて変わり種が買えるんだ!
自分で漬けるっきゃないのかな・・・・・・・。

それにしてもジェラテリアで、20数種のグラッパがずらっと並んでいるって、やっぱり北イタリアです。

昔、ローマで同居していたベルガモ出身の女の子とローマ人男子とカラブリア男子とご飯を食べに行った時、食後のコーヒーのオーダーを取りにきたウィエイターくんに、ベルガモ女子がすかさず、「コーヒーにちょっとグラッパかなんか入れてくれる?」と言って、男性2人、ドン引きしたことを思い出しました。

ローマ人、食事にはワインやビールを一緒に飲みますが、まず基本コーヒーに混ぜない。
たまーに、バールでおっちゃんがコーヒーにサンブーカを入れるように、オーダーすることもあるらしいと、サンブーカー入りコーヒーというものも存在するらしいけど、まず見たことないよ、そんなおっちゃん。
反対に、真夏にはスーツ姿でジェラートぺろぺろしている男子はよく見かけるけど。

ウィスキーやブランデーは、スーパーアルコールと呼び、夏は消化しにくいからあまり飲まないし、男性が飲まないので当然、カマトトロマーナ(ローマ人女性)はさらに飲まない。
ワインだってグラスにほんの少しで十分ですうううううとか言うので、そんな女性たちに慣れているローマ人、南イタリア人男性からすると、女性が、コーヒーにグラッパお願いー!ってのは目が点な行動である。

「北ではこうなのよ!」と奇異な目で見る南イタリア男たちをベルガモ女子は、叱り飛ばしておりましたが、ジェラテリアでグラッパな事実を目の当たりにして、納得した飲兵衛日本人がここに。

数種類のグラッパに大喜びのあたくし、「ミカはドロミテに住めるんじゃない?」

・・・・・・・うーん、住むのは勘弁して。寒そう。
せっかく北国北海道から移住してきたんだから、あったかい地中海性気候のところに留まりたいです。










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by viabellaitalia | 2018-10-09 00:37 | 食いしん坊万歳通り | Comments(0)

ソットグーダの秘境

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イタリアの最も美しい村の一つでもあるソットグーダは、60年代までマルモラーダへの唯一の登山口だったそうです。

60年代までってことは・・・・先日ブログで紹介したマルモラーダのケーブルカーができるまでと言うことかな?

確かに私が乗ったケーブルカーは、いきなり岩壁絶壁の上にちょこんとケーブルカー駅があって、設置工事する前、どうやって登ったのかな?とは思ってました。

今では自然公園となっているソットグーダの村のはしから始まる、昔のマルモラーダへの登山口が、いきなりすごい秘境です。


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自然公園の謳い文句「マルモラーダのお膝元の峡谷」、そのままです。

細い歩道と雪渓の雪解け水が流れる川の両側はいきなり絶壁岩肌。自然の驚異ですね。
岩肌を見上げると上に道路が走ってますが、ひゃああああああ、めっちゃ高い。って、そんなに下にいるんだって驚きます。
なんだか地球に開いている切れ目の底を歩いている感じ。
自然公園として公開されている部分は全長2km。6月から9月までの開放です。
と言うのも、ここ、切れ目ですから、夏でも太陽に当たらない。ちょっと寒くなると峡谷をかたどる両サイドの岩壁が凍り始め、氷のキャニオンが出来上がりますが、ツルッツルなので、それなりの装備が必要かと。

その昔、ピサーノ氏のお友達が、氷のキャニオン見たさに行っちゃったらしいんですが、奥の奥まで行って、戻って来れなくなっちゃったそうで、急遽、ピサーノ氏のパドリーノ(洗礼の際の介添え人)と救出作戦を展開する羽目になったらしいです。
車がね、ツルツルで滑るからピサーノ氏が上に張り付いて重さを加えて、ハンドルを取れるようにしたそうで。
おいおい・・・・・・・・・。

ちょうど夕暮れ時の夕飯までの時間を潰しに入ったので、自然公園内の移動に便利な電気バスの最終便も出た後。先日のチベッタ岳登山の全身筋肉痛では、さすがに往復4kmはやめようねーと、今回は途中までしか行かなかったので、今度、もし行けたら、せっかくだから氷のキャニオン見たいな。
スケート履いてはいけるんじゃないかな?








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by viabellaitalia | 2018-10-06 00:02 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ドロミテに行くなら、ぜひ行ってみたいと思っていた場所がある。
イタリアの最も美しい村の一つ、ヴィピテーノ。

「ちょ・・・・遠い。もう国境近くじゃん!」とあっさりピサーノ氏、却下。

確かにチベッタ岳を真ん前に見る私たちが泊まったホテルからだと、車で小一時間。
トスカーナからはるばる来たんだもの、後一息!と言いたいところだけど、次回のドロミテ旅行のためにじゃあ、取っておこう。

多分、そんな会話を気にしていたんだろう。
この日も、ラガツィオの後、コルティーナ ダンペツォを周り、お城もみたし、夕食までの時間までと、彼が車で入り込んだ村は、もう入った途端「なにこれー!!! 可愛いいいいいいいいい」
ドロミテ地方特有の昔ながらの木造のお家や、窓辺に飾られた花たちもこの地方の他の町と変わらないのに、どこにカメラを向けても絵になっちゃう。


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「ここも、ミカが行きたいと行っていた町と同じように、イタリアで最も美しい村の一つなんだよ」

すみませんが、最もって、一体何箇所あるんすか?と突っ込みたいところだけど、そんな斜め目線になる必要がない。

もう本当に、可愛く、美しい。町の人たちの演出が、またなんとも微笑ましい。

多分、第一次世界大戦の頃の兵士とこcの地方の伝統衣装を纏った村娘の人形が古いお家の軒先に置かれていた。
きっとあの時代、この人形のカップルのように多くのカップルが、村娘たちが恋人の出兵を送ったのだろう。
このソットグーダの村はドロミテで一番標高が高いマルモラーダまでの唯一の道だったのだそうだ。
ドロミテの山々で散ったオーストリア兵もイタリア兵も、その多くが18歳から20歳ほどの若者たちだったと聞いている。


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by viabellaitalia | 2018-10-03 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)

アンダースの城

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「確か、この辺に・・・お城があったはず。お城見たい?」とピサーノ氏。

この日は、ずっと第一次世界大戦跡を回ってたので、ちょっと別なものが見たいなーと思い始めた夕方。

お城?

「うん。Castello di Andraz アンダース城」

と名前が、なんか可愛い。
細い脇道に入って行くのも、なかなかそそられるシチュエーションである。

車で入っていって大丈夫?な細い道は、どうやら、本当はトレッキング路っぽく、トレッキング客が、なんだよー、こんなとこ車で入って来るんかい!な視線が痛かったけど、二日前に登ったチベッタ岳登山で全身筋肉痛で、もう便座に座るのも辛いくらい 笑 だったので、許して。

森の中から現れた城は・・・・・お城というより・・・・砦?
なんとこちらの城、もとい砦は1000年ぐらいにここに建てられたという代物でございます。
えっと、今、2018年だから、1000年前ですね。
先日のWW1博物館がほぼ100年前だったので、その10倍古い。
イタリアって、いきなり1000年とか2000年とかの時空を超えるので、100年くらいは新しいな・・・・と感じたのはあながち、間違いではない。




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この砦がちゃんとした記録に記載されたのは1221年だそうで、めっちゃ中世ですね。
ドロミテの山々に囲まれた谷の中で、ちょっと小高い丘の上にぽっこりと出た岩の部分に建てられたこの砦は、現代の携帯電話会社のアンテナ中継タワーでございました。と言っちゃうとわかりやすいかも。
他のこういった砦と交信するための、通信班駐屯地基地だったそうです。

こう言った小規模な兵士グループの駐屯地には、きっと兵士の家族たちも一緒に暮らしていただろうと、そんなことが伺えるような作りになっているそうです。上階に大きな台所があり、最初は、台所横の広間が隊長の部屋だったのが、のちに、やっぱり兵士と将校は差をつけるべしと、隊長のお部屋はさらに上階を増設し、そちらへ移動。
だよね。み今みたいにテレビとかないですし、娯楽もなかっただろうから、ご飯食べた後は、みんな食卓に残って、大騒ぎだろうし。
そりゃあ、隊長、寝れないって。笑
1000年以上経った今、なぜそういった部屋の移動みたいなものが伺えるかというと、後で作られたであろう上の階の隊長の住居部分は壁が石灰で滑らかにされてたり、絵や文字などえ装飾がされて、さらに隊長用にキッチンも上の階に併設されていたりと、構造上、「気配り」が見えるそうです。笑

こんな山奥のしかも見晴らし台みたいな場所に建っている砦ですから、風も強くて寒かっただろうなと。
窓枠や、部屋の仕切りには暖房を逃がさない、寒気を入れないように木材が使われたのも、長い年月にも朽ちることなく、残っている部分もあります。

各階の外壁に近い、一見、窓際?な場所には、ぽっとん式のおトイレも設備あり。笑 
小高い丘の岩の上に建てられた要塞ですから、下は自然のお堀、川が流れています。
うまい具合にそのまま川に落ちるようになっているそうで。
中世のちょっと乱暴だけど、コンセプトは水洗トイレ?



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この砦はその後、改修、改築されて大きくなり、形ももっとお城っぽくなって行ったそうですが、15世紀に山火事に合い、そのまま見捨てられ、忘れ去られたまま、数世紀がすぎた現代、20世紀の世界大戦時に爆撃に合い、このように崩れちゃったそうです。

せっかく20世紀までちゃんと現存していたのに、もったいないな・・・・・・・・・。
元々が交信の目的の砦だったので、偵察などにはぴったりの土地だっただろうし、爆撃の目標にはなりやすい立地条件だったかもしれませんね。

そんな現代の戦争から生きながらえた少ない資料でさえ、過去にこの砦で営まれていた兵士たちの生活を雄弁に語ります。こんな、北イタリアのしかも山奥で、隊長さんはスペインはマヨルカ産の陶器をご愛用だったとか。
中世の時代の人の行き来、交易の範囲がすごいなーと感心したら、「ローマのマッシモ宮のミイラのこと忘れた?」とピサーノ氏。

そうだった。ローマのマッシモ宮の博物館には帝政ローマ時代のミイラが展示されています。
ミイラはエジプトではよく作られていましたが、ローマではなかった習慣で、このミイラは古代ローマ、帝政時代とすべてのローマの時代の唯一のミイラです。
ミイラは8歳の女の子だそうで、ローマの中でも裕福な家の子供だったのでしょう。
彼女は中国産のシルクの衣装にバルト海地方の宝石を身に纏い埋葬されていました。

人類の歴史ってすごいですよね。時を超えて、私たちに当時の生活を語りかけて来る。

それにしても、中世の砦でございますから、
小さく狭い階段をひたすら登るのは、全身筋肉痛のおばちゃんには辛かったです。







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by viabellaitalia | 2018-10-01 18:54 | Buon viaggio通り | Comments(0)