カプローナの塔


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正直、まだまだダンテ アリギエーリさん、よく学んでません。
此の前なんか、マッキアベリさんと一緒くたにしてしまいました。

だって、日本では世界史で、イタリアの詩人ダンテの神曲が、イタリア語の標準語の規範となった。のたった1行なんですもん。
全く個人的な見解なんですが、ダンテ アリギエーリの横顔の肖像画が有名ですが、私・・・・・彼の鼻が嫌いです。笑
なもんで、どうも勉強しようという意欲がわかない。(しょうもない理由で、すみません)


しかも、フィレンツェ人のダンテさん、ローマにいると、まず絡みません。

そんな中、私が歴史を学ぶのにローマで6年通った学校がダンテ アリギエーリ協会でしたが、なぜにローマでダンテ?と思いきや、ローマのフィレンツェ広場に建つ学校の建物が、昔、トスカーナ大公国大使館だったと聞いて、納得。

ローマだけど、中はいきなりフィレンツェでございます。その昔、ガリレオ ガリレイ(ピサ人)もお泊まりになっちゃった場所です。

ローマにいる限り、あんまり絡まない歴史上人物だったダンテさんですが、ピサに通いだすと、あっちこっちでその足跡にぶち当たります。

ピサの街中を歩いてると、ここはーダンテが、神曲で・・・・と。
ああ、ごめんなさい。私、ダンテさんのこともあまりよく知らないし、神曲なんか1行も知らない。
イタリアの大物俳優、映画監督でもあるロベルト ベニーニがたまに、テレビでダンテの神曲を朗読する番組をやりますが、神曲を知らないだけに、全然笑えなくってつまんない。しかも彼のかきくけこが抜けちゃうハフハフ、ハヒフヘホーなトスカーナ弁がわからない・・・・・・。

いつかはちゃんとお勉強しないといけないと思っています。

昨日の記事でも書きましたが、現在山火事で大変なことになっているピサのモンテ セッラに、この夏に行った帰り際、小高い丘のてっぺんにポツンと建つ塔を指差し、「ほら! あの塔は、詩人のダンテ アリギエーリがその昔、戦ったところなんだよ。」とピサーノ氏。

今はLa torre di Capronaと呼ばれますが、本当の名前はTorre degli Upezzinghi。
13世紀頃、ここには要塞、カプローナ城があったそうですが、1289年8月の16日にダンテもフィレンツェ軍の一兵士として戦ったカプローナ城の戦いのときに壊され、塔だけが残ったところです。さらにその後も、その土地が石切場として、どんどん採石されちゃって、下が断崖絶壁になっちゃたところだそうで、現在は・・・・・自殺の名所だそうです。汗

ダンテが神曲の地獄篇で、この時の戦いを書いている部分があります。

Per ch'io mi mossi e a lui venni ratto;
e i diavoli si fecer tutti avanti,
sì ch'io temetti ch'ei tenesser patto;

così vid'ïo già temer li fanti
ch'uscivan patteggiati di Caprona,
veggendo sé tra nemici cotanti.


休戦協定がなされ、恐々と出てくるピサ軍兵士たちの恐怖に怯えた顔を歌っているとか。

昨晩、ニュースに流れた、中々鎮火しないモンテ セッラの映像が、もうまさに地獄絵で。
このダンテが戦ったという塔の背後に燃え盛る山火事が、私にはまるでダンテの神曲 地獄篇そのままに見え、結構怖かったです。
ダンテって結構、執念深かったと聞いてますが、なんか残っちゃったのかしら?ってそんなことはないか。


やっぱり、ちゃんとお勉強しないとな・・・・・。



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Photo by http://www.sienanews.it








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by viabellaitalia | 2018-09-27 00:12 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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朝、テレビをつけると、どこぞの山が火事で住民が避難しています。と言うニュースが目に飛び込んで来た。

イタリアのテレビの朝のニュースでも今月は、日本の台風に北海道の地震が取り上げられたので、一瞬、避難している人たちの映像が日本の体育館の避難所みたいに見え、え? また日本?と慌てた。

「ピサのモンテ セッラの山火事で、現在カルチ市の市長から避難勧告が出され・・・・」

え? ピサ? モンテ セッラ????????

燃え盛る山火事の映像はまるで火山の爆発のように見えたので、てっきりシチリアのエトナ山かと思ったのと、南イタリアの夏によく発生する山火事なら、カラブリアかプーリアかシチリアなのに、もう10月になろうとする今になって、しかも、ピサ?????

モンテ セッラはピサに通い出してから、時々行く山で、この夏もドロミテから「下山」したら、あまりにも下界(トスカーナ)が暑くて、モンテ セッラに涼みに行って来たばかり。



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ピサーノ氏の習慣なのか、はたまたトスカーナ人がそうなのかはわからないが、山に行く=山小屋で食事をする。である。
食いしん坊の私にとってはとってもありがたい、トレッキングになっても、食いっぱぐれない習慣で、行く度にモンテ セッラの山腹に点在する山小屋(レストラン)で食事をしているので、数件お気に入りの場所がある。



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こことか



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こことか!


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この夏の、こことか!




この夏も涼しい風に吹かれてランチを楽しみ、その後は林の中でお昼寝までしちゃった場所が山火事なんて!!!!!

風が強いために火の勢いが激しく、消火活動が難航しているそうだ。
モンテ セッラの斜面を使った農園も多く、山小屋でだけではなく、アグリツリーズモも点在する。

カルチ市側の山腹には1年前に訪れた修道院もある。幸い修道院の方は大丈夫らしいが、ブーティの方にちょっと方向を変えると、100年ほど前に日本から贈られた椿の木を使った椿の小径なんかもある場所である。

知っている場所なだけに心配です!!!!!!!!!!








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by viabellaitalia | 2018-09-25 20:27 | イタリア広場 | Comments(0)

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昨日は、久々にローマ郊外のカステッロ・ロマーノのアウトレットへ。
うちとはローマを挟んでちょいと方向が違うので、遠く、滅多に行けないアウトレットでございます。

日本のお客さまが大好きな、グッチとプラダが入っていないので、仕事でも、まず行くチャンスに恵まれません。
近所のアウトレットはイタリア庶民派ブランドが集まっていますが、こちらはグッチ、プラダがないだけで、素敵な一流ブランドのお店が揃っています。
昨日はローマに住むPallinaさんに地下鉄駅でピックアップしてもらい、ウィンドーショッピング。
やっぱりね、ショッピングは女同士で行かないと。笑

なにせ誘惑が一杯な危険なゾーンでございますから、男性となんか一緒に行ったら、ゆっくり見れないし、衝動買いに走らないように熟考する時間も取れないまま、衝動買いしちゃうか、買えずに後ろ髪引かれて帰って来ちゃうかになっちゃいますから。
一流ブランドの商品が、ちょっとお財布に頑張ってもらえば、手が届いちゃうという危険ゾーン、心して門くぐらないと!と気持ちを引き締める間もなく、一歩中に入ると、すでに誘惑の第一関門が!!!!



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足元に大好きなチョコレートショップの、しーかーも数ある商品の中でいちばん大好きなこやつが・・・・・。
つい、あれ? なんんで?なんて追っちゃうと、そのまま、お店にInしちゃって危険です。

普段はお客様のためのお買い物で足を踏み入れる有名ブランドのアウトレット店が、ずらっと並ぶ危険ゾーン。
アウトレットですから、半年、1年前落ちの商品ですが、それこそ、お買い物代行で血眼にご希望の商品を探したときに目にした、見かけたコレクションたちがそこら中に、まるで「あーら、ミーさん、お久しぶり」みたいに並んでいます。
あの時、あああああ、これほしいいいいいとかちゃっかり思っていた商品たちが、アウトレット価格で待ち構えているわけで。
ここでお財布を開いちゃったら、ミイラ取りがミイラになっちゃう。
本当に本当に、ハートにググッと来ちゃうものだけ、お買い上げと決めて来たのだ!
とか思いながらね、ふらふらと、ついつい大好きなブランド店に入っちゃうんだけど。
昨日はラ ペルラのナイトキャミソールに恋をいたしました。
ちょっとエロいけど、さすがラ ペルラ。素敵だー、お値段も信じられないくらい安いいいいいいいいと、これは買いでしょーと試着室でガッツポーズ取ったけど、それにしても、本当にこんなに安いの?とよーく価格ラベルを見たら・・・・・やっぱりね。3桁だったよ。
最後の1桁が妙に離れた、まるでユーロとセントのカンマのごとく、ミミズのようにのたまっていて、カンマだと思って見逃しておりました。危なかった・・・・・・。
ナイトキャミですし、要はエロいパジャマでございます。
誰に見せるんだよ! カルロしかいないしーと自分でツッコミ、名残を惜しみつつ、棚に戻しました。


こんな数々の誘惑にかられながらも、まさに一目惚れしちゃって、お店の棚で見た途端、持ち上げてそのままお会計に行っちゃったのは!



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BIALETTIのひげおじさん

そう、これ、エスプレッソを沸かすコーヒーメーカーのブランドBIALETTIのキャラクターです。



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これね。これ。



実は、これコーヒーとは全然関係ない、つまようじ入れ。爆




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つまようじが必要なのって、年取ったってことよーんなんてPallinaさんに言われましたが(笑)、最近おうちご飯に友人達を呼ぶと最後に、必ず誰か彼かが、「つまようじある?」と聞いてくる。

で、毎回、キッチンのカセットから、つまようじをそのままぽんと出すわけで。
こんなのがキッチンにあったら、可愛いでしょ?

考えたら、イタリアに来てもう18年。おうちご飯に来てくれる友達たちも、同じくみなさん年を重ねたわけで。笑










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by viabellaitalia | 2018-09-25 00:14 | I love shopping通り | Comments(2)


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ドロミテ街道の始点 コルティーナ ダンペッツォ。
「ドロミテの女王」と呼ばれる山あいの街です。

「ドロミテの女王」と呼ばれるようになったのは、今は風化で消えてしまったそうなんですが、ドロミテ街道のトンネルの中に「やあ、コルティーナ 、君はドロミテの女王だ。」と第一次世界大戦中の無名イタリア兵士によって書かれた文字があったそうです。

きっと、「Ciao Cortina, sei la regina di Dolomite」って書かれてたのかな?
というのも、この町の観光インフォメーションには、なんと日本語が堪能なイタリア人スタッフ、日本語アシスタントさんが常駐しているそうで、日本語のガイドブックをいただいたんです。その中にこのお話が書いてありました。
こんなところまで、日本人観光客が来るのかな?とも思ったけど、最近ではリピータさんが、日本ではまだそれほど宣伝にされていない小さいけど、素晴らしい街をどんどん発見して訪れていますよね。
イタリアに住んでいる私たちより日本にお住まいの方の方が、すっごい情報通ということも多い昨今です。
この日もラガツォイからコルティーナ に行く途中のバス停に、先日、チベッタ岳の山小屋でお会いした「ゆっくり時間をかけてドロミテを回っている」と言っていた日本人男性がいました。

この辺りは、ドロミテスーパースキー場のエリアでもあるので、冬には日本のみならず、世界中からセレブさんたちもバカンスにくるそうで、町のメインストリートは、ローマのスペイン広場界隈よりエレガントな高級ブティックが並びます。



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薬局が入っている建物も横がこんな感じ。





教会も外観がローマのとは全然違う様式で、ヨーロッパを感じさせます。
イタリアもヨーロッパですが、ローマあたりになると、いや、ここ、ヨーロッパじゃないでしょ?という雰囲気なんです。
イタリアの政党、北イタリア同盟さんが「ローマから南は切り離したい!」と昔、よく言っていましたが、気持ちはわかる。笑

この辺りはイタリア国内なのに、オーストリア、ドイツな雰囲気が味わえるます。
家々の窓辺にはゼラニウムが飾られてるし、スイスに行かずしてハイジの世界です。

ローマでは、ゼラニウムはこんな元気に大きくならないんです。
10年ほど前にアフリカから入ってきた害虫、蝶なんですが、幼虫が根を枯らせてしまうので、こんなに見事に育たないんです。
アフリカ産の蝶ですから、さすがに北イタリアのこの辺りまでは、まだたどり着いていないんだろうな。
ってか、寒いか。(納得)

チロル風と呼ばれるように家の壁も色彩豊かに描いた描かれてるし、落書きもない。

でも、そんなすんばらしい風景の中、私の心をゲッチューしたのは、聖フィリッポと聖ヤコボ大聖堂 (Basilica dei Santi Filippo e Giacomo)の横にあるこの像でございました。。。。。。。



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by viabellaitalia | 2018-09-21 00:17 | Comments(0)

WW1って?

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ラガツォイで出会った語り部オーストリア兵さんの話を聞いて、もう少しイタリア人が偉大な戦争 Grande Guerraと呼ぶ第一次世界大戦のことを、イタリア側の観点で、知りたいと思う気持ちを新たに、山を降りる。

「コルティーナ ダンペッツォの街に行く前に、ここから2kmほどの距離に博物館があるみたいだから、寄ろうよ」と連れて行かれた博物館は ドロミテの雄大な峡谷の平地にぽつねんと石造りの建物。

さて、Museo WW1 Tre Sassiと書いてあるけど、なんの博物館なんだろう?

えっと・・・・・WW1? WW1って???? 


脳内メモリーフル稼働で「もしかして、World War 1? 」とわかるまで秒差かかっちゃいました。

もおおお、なんでここだけ英語なのよ! 今まで散々Grande Guerraとか言っておきながら!と怒る外人のあたくし。
土台、MuseoもTre Sassiもイタリア語でしょうに。

WW1博物館の、この建物自体が、第一次世界大戦前から砦として使われたもので、1915年の7月に爆撃されたものを、その後、この地域活性事業の一つとして復元させ、戦場跡などの発掘調査で出てきたものを展示しています。
戦争前はこの辺りはオーストリア領で、イタリア軍の侵攻から守るための砦だったそうです。
戦場跡の発掘では、オーストリア側だけではなく、この地で戦ったイタリア側のものも多く出てきます。
そして、現在、ここはイタリア領。
この博物館では、当時敵対しあったオーストリア軍とイタリア軍、双方の品物が「仲良く」展示されています。
きっと、博物館の名前も、オーストリアとイタリアも一緒の博物館だから、ドイツ語表記でもなく、イタリア語表記でもなく、間をとって英語にしたんじゃないかなと思います。
展示品の数々を見ていると、100年と言う年月は、そんなに遠くないんだなと。
展示品の多くは、この砦に置き忘れた、また周りから出た生活用品。軍服や武器はもちろん医療器具。
保存食であっただろう、缶詰の空き缶など、保存状態が良いものは、まるで、ついこの前のもの?のように見えるものもありました。
日本の神風特攻隊が飛び立つ前に家族に手紙を残したこともありますが、この博物館にも、そんな風に死を覚悟したイタリア人兵士の家族への手紙が展示してありました。
戦争とはいえ、前線で戦ったのは個々人。
国は違うけどみんな同じぐらいの年齢だった若者たちで、ましてや、ドロミテ地方は歴史的に長くオーストリア、ハプスブルグ家領であったけど、そこで暮らした人たちは言語だってドイツ語が共通だったし、この地方特有の言語もあったし、実はイタリアだ、オーストリアだという境界線が果たしてそれほど重要だったのだろうか? 


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"Questo museo vuole raccontare la storia da parte dei soldati
e non dai generali, o dalla politica, da parte dei vinti e non dai vincitori."


写真は博物館のフェイスブックページからお借りしました
仲良く、オーストリア兵とイタリア兵で記念撮影というのが、
とってもこの博物館を表現しているので。



以前、イタリアの公営放送局Rai ライで作られた、このドロミテ地方を舞台に、第一次世界大戦を時代背景にしたテレビ映画がありましたが、その映画のワンシーンで、たぶんクリスマスかな? たとえ戦争でもね、クリスマスは休戦です。そんな日に見回りをしていたオーストリア兵の青年は、雪山で遭難しかけているイタリア軍兵士を発見します。
近づくと、なんと彼の幼馴染。
衰弱し凍死しかねない友人を彼はオーストリア軍の基地へ連れて行きます。
基地内の他のオーストリア兵たちは敵を連れてきたなんて!きっと囮で後をつけられたに違いないと非難するわけですが、自分の幼馴染を見捨てはできない!と庇うと言う展開が、この映画を見たとき、正直なところ、私も、まあ、映画だしね、こう言うシーンも書いちゃうよね。とは思いましたが、ピサーノ氏が生まれた当初、ご両親が住んでいたと言うベネト州のベルン地方のお家の前を通ったとき、ほんの数メートルで「戦争前はね、ここからオーストリア領で、税関、入国審査事務所があったんだよ」って、道1本挟んでじゃございませんか?の距離で。

あっ、もちろん、ピサーノ氏、100歳とかじゃないですよー。
彼が生まれるずっと前、第一次世界大戦の前の話でございますが、この距離を目にすると、あのテレビ映画のシーン、あながち、あり得たお話だったなと妙に納得。

ローマで通った歴史コースの教授の「歴史を理解する、学ぶと言うことは地理に長けていないとダメなんですよ」と言っていた言葉を、ふと思い出しました。








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by viabellaitalia | 2018-09-19 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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この夏のバカンスでトスカーナの山とドロミテの山に行ったんですが、山小屋のご飯が美味しいのにびっくりです!

それぞれの地域のお料理、素材が食べられ、山小屋なだけに 笑 お肉とか、お乳製品は山小屋の前で草をはむはむしている牛さんのです!とか、チベッタ岳でブー垂れたけど、すごい美味しかったヨーグルトの上にかかっていたブルーベリージャムも、チベッタ岳で採れたものとか。

下界では宣伝文句として、「0キロメートル」なんて言葉を使いますが、ここでは、そうしないと食材ないしー!なんだけど、これが美味しい。

北海道のスキー場の頂上レストランしか知らない私には、この地域性を押し出すメニューも新鮮でした。
ドロミテで、ちょっとハマったのがキュウリの酢漬け。これってピクルスだよね? なんだけど、もっと美味しかったです。
さらにドイツビールを置いているところも多かったです💓
ラガツォイはトレッキングしなかったので、ビールをいただきました。うひひひひ。


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ランチは軽めに前菜だけにしましたが、
これが意外にちょうど良い量でした。笑





ケーブルカーで登っていける山小屋も、宿泊施設併設と言うのも、ちょっとびっくり。
でも山小屋ですので、トイレの手洗いの水がね、石鹸を泡立ててる間に水流しっぱなしにしてたら、後ろから来たヨーロッパ系のおばちゃんに怒られました。汗

ラガツォイの山小屋は広いテラス席もあり、世界各国からきた観光客が皆さん、ご飯タイム。
チベッタ岳の山小屋では日本人男性とばったり会い、ラガツォイではめっちゃ、どう見ても日本のおばちゃんグループだわと思いきや、韓国のおばちゃんだったグループさんと言葉を交わし。
ヨーロッパからの観光客はワン’sも一緒に標高2700メートル。
第一次世界大戦の戦場跡でもあるドロミテ、今は平和に世界の人が集えて、こう言うのっていいな。



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思わずお砂糖一袋、お土産に頂いて来ちゃいました。



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お会計前のカウンターが。。。。
ヨーロレイホー。
ローマじゃ見かけない。。。。



初日のチベッタ岳登山の際に、念のためにリュックにお水とチョコレートなど持ちましたが、イタリアで山歩きをするなら、ぜひ山小屋ご飯、お試しください。素朴だけど、本当に美味しいもの見つけれますよん。









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by viabellaitalia | 2018-09-14 19:58 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ラガツォイでオーストリア兵に会っちゃった!




というのは嘘です。

こちらの方は、ドロミテ地方の第一次世界大戦跡の数々の発掘調査に参加した歴史学者さんですが、毎年、8月の15日後の1週間、こうやって山の頂上に立ち、当時の語り部をしていらっしゃるそうです。
「彼女、イタリアの歴史を勉強しているんです。」なーんてピサーノ氏が、言っちゃって「日本にもぜひ、ここの話、伝えてくださいね」なんて言われちゃいました。汗


「ドロミテに来たからにはラガツォイ、見ないと!」と、トレッキングじゃなくって、ケーブルカーで頂上付近までいけるというので、ホッといたしましたが、本当にもう、言葉を失う雄大な景色です。
世界遺産のすごさを見せつけらた感じです。

この山々も第一次世界大戦でオーストリア軍とイタリア軍が壮絶な戦いを繰り広げた場所です。
特にこの辺りは山の中腹にトンネルを掘り、中に火薬を詰め、頂上付近に陣を取る敵軍を山ごと吹き飛ばすという坑道戦が行われた場所です。そのために山の形が変わったところもあるそうです。

この山はオーストリア軍が優勢だったのかな?
崖の手前や岩壁を掘って基地を作っていた跡が多く残っています。
岩壁の中のトンネル、見たかったけど、照明がない上にめっちゃ低くて狭い。その上、足元が泥で濡れてて、転んだらアウト。
ということで、入って見たけど、入口付近以上中に入れませんでした。
先日のチベッタ岳の登山で、全身筋肉痛でね、滑ったりしたら踏ん張る筋肉も残ってなかったの。



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よくぞこんなところにトンネルなんか掘ったよ!という、その向こうは断崖絶壁の岩を見てたら、いきなり向こう側からトレッキング客が現れて、岩を降りて行ったけど、私にはできません。。。。。



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こう言った窪みも全て当時、人の手で掘られ、
木造の小屋を建て、見張り台や基地ととして使っていたそうです。


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こちらはTre Sassiの第一次世界大戦博物館で展示されていた当時の写真




高所恐怖症ではないはずだけど、もう安全のための柵とかネットとか張ってないから、あっちこっちにいきなり断崖絶壁の口が開いてて怖いったら、ありゃしない。
中にはまさに、きわきわに座って、写真を撮ってる心臓が強そうな方もいましたが。

思い切ってきわまで行って下の方の岩壁を写真に収めると・・・・・ひええええええ、あんなところに階段が。
階段の向こうもいきなり断崖絶壁だけど、こうやって両軍にらみ合いをしていたのでしょう。


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峡谷の中の所々に、何かの発掘跡なのか、番号が振られて場所を限定している場所がありましたが、その前日に行ったマルモラーダの戦争博物館のガイドさんが、当時使われた地雷や爆弾がまだまだ、あっちこっちにあるんですよー、なんて言っていた言葉を思い出し、まさかとは思うけど、近寄らないようにいたしました。汗








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by viabellaitalia | 2018-09-12 19:27 | Buon viaggio通り | Comments(0)

1年が経ちました。

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現在。。。。

そして、1年前。
カルロの顔も不安げ。


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気がつけば、新しいお家の鍵をもらったあの日から1年が経っていました。
大困難、大騒動の末のお引越しはその間にも新たな問題が浮上したり、噴き上がったりで、消化しきれていないうちに、1年が経っていたということの方がびっくり。
苦しい思いも、悲しかったことも、脳卒中起こしそうなくらい怒ったことも、もう1年経ったんですか? というのが正直な気持ち。

選択を間違えたか?という思いに苛まされ、まあ、じゃあ修正すればいいやと思い、修正案、解決策を探しているうちに1年。




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1年前、現状打破のための、一歩前進のための引越しだったんだけど、達成感もなければ何か前進したとか、得たという手応えがない。
多分、自分が期待していた成果がまだ出てない、自分が期待していたレベルまで、到達していないから、達成感がないのかも。

これは、これでいかん。とも思う。
1年、365日。色々、いっぱい頑張ったし、何かは得ている。。。。はず。
とポジティブな視点で、1年暮らしたお家を眺める。

えっと・・・・・
まず、今のお家はカルロが時々走り回るお庭がある。

DVDを見ながらストレッチをするときも、今度のお家は充分なスペースがあるので、前のように家具を蹴ってしまうなんてこともない。



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大家さんが持って行ったエアコン痕は新聞紙を詰めただけだったので、
漆喰を塗り埋めて、色も塗っちゃったもんね。


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ボールの取り合いっこで、カルロでさえ、息切れを起こすほど、ぐるぐる走り回るスペースもある。
組み立てに2ヶ月以上かかり、本当に泣かされたキッチンは、出来上がると、広く使い勝手が良く、お料理するのがとっても楽だし。組み立てに苦労しただけに愛着もある。
私は日曜大工は嫌いであるけど、やらなきゃいけないときは、まあ、少しはできるという自信もついた。

器が変わると暮らしも変わるというが、確かに、最近では将来のお家、引越しを考える時、今のお家を基準に考えている自分に気がつく。
そして自分には何が本当に必要なのかも、ちょっと見えてきた。

1年前の自分にはなかった基準、物差しを持ち、そして確かに、物事の見方が変わったのは、大きな前進であったと思う。
この経験だって、決してマイナスではないはずである。
いや、何かに役立てていかなきゃ。

フェイスブックで上がってきた1年前の出来事、鍵をもらって希望と不安を抱えながら、引越し前の大掃除をした日の写真を見て、ふともう一度立ち止まって、自分の立ち位置を確認したくなった。








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by viabellaitalia | 2018-09-12 01:44 | Comments(0)

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ローマ以南のイタリアしか知らない私、今回の始めて、ベネト地方の上に行って来ました。
ここまで来たから、せっかくだから州に越えて、トレンティーノ、アルト アディジェ行くよ!とつれて行ってもらった町はカナゼイ。 Canazeiと書きますが、日本ではカナツェーイの方が知られているのかな?

トレンティーノ アルト・アデイジェと言えば! 大好きなカンティーナがあるところ162.pngとしか、前情報がなかったあたくし。行って見てびっくり。

ここは・・・・・・どこ?




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「ほら! 見てごらん、まさに南チロル地方の伝統的な建築様式だろ?」と言われて、そうかー!!! ここが噂の南チロルなんだ!

オーストリアのチロル地方とアルプスを挟んで南側の地方を南チロル地方と呼ぶんだそうで、ここは第一次世界大戦まではオーストリア領でございました。
ベネトのベルーノ地方に入った途端、道路標識もドイツ語表記との二重表記で、南イタリアしか知らない私には、もう外国でございます。




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大好きなワイン名もドイツ語っぽくって発音出来ません。

ドロミテ地方のこの辺りの木造のお家の飾りがすごい。
この地方の木工職人さん達、すごいだろうな・・・・・・・・と変なところで感心しちゃいました。

南イタリアの石造りの家、大理石の飾りしか知らなかった私には、この木のお家というのは、ものすごく異質で外国、ヨーロッパに来たぞーと気持ちが上がりました。









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by viabellaitalia | 2018-09-10 20:29 | Comments(0)

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 画像提供 www.bildarchivaustria.at



Grade Guerra(グランデ グゥエラ) 偉大なる戦争 
イタリア人たちは第一次世界大戦をこう呼ぶ。

なぜそう呼ぶのか聞いてみると、「なにせイタリアが勝った戦争だからね」

いや・・・・・日本も勝ち組に入ってましたが、そんな大きく取り上げていない。
その前の日露、日清戰争や第二次世界大戦の方が大きく語られていて、返って影が薄い戦争のような気がする。
高校の世界史の先生が、古代ローマからフランス革命までに情熱を注いでしまって、確かこの辺りは入試まで自習でやってくれみたいな。

どうしてイタリア人たちは、これほどまでに第一次世界大戦に想いを馳せるのだろう? 
ずっとこれが、私の疑問だった。

ドロミテの山々の中で一番高いマルモラーダには、ヨーロッパ1標高が高いグランデ グゥエラ博物館がある。
博物館の入り口のフロントには戦闘服のイタリア軍兵士が常駐している。多分この博物館は軍の管轄なんだろう。



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今年は雪が溶けちゃってますが、
ここも昔の戦場跡 向こうの岩山のてっぺんにも、当時の見張り小屋跡があります。




マルモラーダはオーストリア軍が第一次世界大戦時に雪溪を掘って作った前線基地「氷の町」で有名な山である。
岩壁のそそり立った山の中腹一帯の雪溪に氷の町を作り、ここからイタリア軍の動きを見張り、攻撃を繰り返し、
イタリア軍は、そそり立った岩壁を登り、岩壁にトンネルを掘り、見張り小屋を建て、オーストリア軍を牽制していた。



と今の時代にこうやって文字で書いてしまうと、たった2行で済んでしまって、なんだか簡単なことのように思えるけど、
雪溪は常に少しづつ動いているものである。吹雪などでせっかく掘った道やそこに建てた小屋などを毎日のように雪をかき、作り直し、また昨日まではは安全だったところが、雪渓の地滑り?雪滑りで、いきなりぽっかりとクレパスが現れたり、寒さから身を守る小屋だって建材となる木材はマルモラーダの中腹には木は生えていない。切り立った崖を登りながら人力でもって上がらなければならない。
標高3000メートルを超える山の氷の中に作った町だもの、ガンガン温めてしまえば、雪は溶けるし、煙が基地の位置を敵にしらせてしまうので、高くはできない。でもそれが吹雪の時などは、基地や見張り小屋の中で一酸化炭素中毒の事故の原因になりかねない。
敵と戦う前に、この環境で生存するということがすでに過酷な戦いであったと言う。

この山を舞台に繰り広げられた壮絶な戦いは数回に渡る。一番有名なのは1917年9月26日の闘いだろう。
博物館にも大きく展示されていたけど、フラビオ ロッソ中尉率いる15人のイタリア軍の部隊が、オーストリア軍への攻撃ポイント設置作戦中に反撃にあい、実はいまでもこの時の幾人かの兵士たちは、この岩壁、雪渓の中で眠っている。イタリア軍だけではなくオーストリア軍の兵士たちもだ。


あれから100年、雪渓の位置もかなりずれたし、環境の温暖化でかなり溶けたが、現代は博物館の下の階にエレベーターで雪渓まで降りることができる。
ジモティー・ピサーノ氏、今から20年ちょい前の夏に友人たちとこの雪渓でトレッキング兼夏スキーを楽しんでいた時に、氷が解け出したところから、なんと当時の軍服、いや防寒コートを見つけ、博物館に知らせたことがあるそうだ。
マルモラーダの闘いは、オーストリア、イタリア双方、多くの命を失い、どちらが勝利したということもなく、両軍撤退した見捨てられたため、当時のものがそのまま雪渓の氷の中に残されていると言う。



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こっちの岩壁の穴も当時のもの


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歯磨き粉?


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当時のイタリア人将校用のテーブル再現
コーヒーミルがあるところで、イタリア軍のものとわかりますね。



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腹が減っては戦はできないので、フライパン。
トルタの型もありました。



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雪面の光の照り返しから目を守るためのマスクですが、
これって、見えんだろーよ!




博物館で当時の前線、戦況報告の8ミリフィルムを観た。
今でこそ、登山靴だって、登山の道具だってものすごく便利になっているけど、100年前の軍靴の滑り止めのビョウはなんとも危なっかしい。
それでなくてもドロミテの山々の岩壁は非常にもろく、戦いの前に基地移動の際の滑落事故も多かったらしい。

「彼らが、ここでイタリアを守ってくれたから、今がある。グランデ グゥエラはね、イタリアにとっては、イタリア統一の際に統一できなかった飛び地領地をイタリアに帰還させる、僕たちイタリア人にとっては民族統一の戦いだったんだよ。」

「もともとは同盟国だったドイツ、オーストリア、ハンガリーの同盟国が、イタリアの南チロル地方に侵攻したので、参戦したんだ。あの時の若者たちは、本当に自分たちの家族、国を守るために戦ったんだよ。」

そんなピサーノ氏の説明を聞きながら、イタリア軍が隠れた岩壁のトンネル跡を見上げる。
あんな切り立ったところに、あんな高いところに。。。。。。

第一次世界大戦、同じ側で私の母国は戦ったけど、国の思惑は、全く違うものだっただろう。
イタリアを守るために、偉大な戦争に散った若い命に、なにがしかのリスペクトの気持ちを表したくて、展示されている大砲の横で岩壁を見上げて敬礼をする。








最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



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by viabellaitalia | 2018-09-05 20:38 | Buon viaggio通り | Comments(0)