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カテゴリ:Buon viaggio通り( 66 )

いつもと違うピサ散歩

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復活祭の時のネタなので、ずいぶん時間が経ってしまいました。汗

復活祭のお食べ地獄ランチの腹ごなしに、ピサの街でもお散歩しようとなりましたが、ちょっといつもと違うピサを見ようと。

今回はアルノ河沿いに街の中心地区をまっすぐ突き抜け城壁の外へ。
道の向こう側に壁面にアートな絵が描かれた地区へ出た。

最近はローマの街中でもストリートアートを楽しみながらお散歩できる地区があるけど、特別、そんな意図はなく、ただここだけっぽいけど、ピサでは新鮮。

「大学時代、この小道の向こうに友人が住んでいたので、よくここまで来たんだよ。懐かしいな。」と言いながら、家と家の間の小道に入って行くピサーノ氏。



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観光客が溢れる旧市街からは結構離れているので、日常感たっぷりな、なんだか昭和な雰囲気が漂う。
って、ピサで昭和は、失礼かしら? 笑
道の両端のお家のお庭の佇まいも結構な年数、家人にちゃんと手入れをされているのだろう。

「これ、わかる?」と彼が道の上に意味なくぶら下がってる鉄錆た物体を指差す。

街灯? いや、電球ついてないし。全く、わかりません。笑

「電車の架線だよ。昔はねピサの中心部から海に向かって電車が通っていたんだ。この小道は、路線が廃止された後の線路跡で架線がそのまま残ってるんだよ。」

そう言われてみると、それっぽい。
中世にはイタリア4大海洋共和国だったピサ。
町からまっすぐ海に向かう電車は、ピサ人にとってはその存在自体が意味が大きかったんだろうな。

中心地区からそれほど遠くもなく、静かな住宅街のこの地区。
いつの日かトスカーナに移住を考えている身としては、今後のお引越し候補地として興味深いエリアかもです。







最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



by viabellaitalia | 2019-05-20 23:28 | Buon viaggio通り | Comments(2)

森の中のおとぎの村

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山火事って、てっきり木などは燃えてしまって、跡形も無いのだろうと思っていたけど、意外にも木々たちは、茶色く火に焼かれたままで残っている。
まさにそこにあった生命が焼かれ、命が消えたという風情で余計に痛々しく見えます。

茶色く焼かれてしまった斜面は森林警備隊が土砂崩れなどの災害を避けるために、伐採した木々を積み上げ、 バリケードを作っているところも多かった。
モンテ セッラ自体、かなり大きな山で被害をまぬがれたところも幸いにも多い。
森の中に点在している民家や山小屋レストランなども被害が出なかったし、近隣の町などは山の斜面に食い込むような形で町が形成されているので、山火事が起こった時はさぞかし地元住民の人たちは心配だったと思う。

「今でこそ山の斜面はオリーブ農家の畑だったり、果樹園になってるけど、大昔は森自体が自然の恵が一杯、食物が採れる豊かな場所だったからね。山の中に人々が住むのも当然っちゃ、当然だし。」

森の中を抜ける車道にひょっこり教会の標識。
「あっ! そうだ! ここの教会見せたいんだ!」とピサーノ氏が路肩に車を停めるも、標識はあれど、教会どころか建物らしいものも無い、オリーブの木が連なる斜面にまるでけもの道みたいな(車は通れん)道をずんずんと下っていく。

オリーブ畑の間の細道は、普段もあまり人が通らない感じで、雑草が茂ってるし枯れ葉が一杯で滑る。
おいおい、勘弁してくれー。いきなりトレッキングなんかできない、おしゃれないでたちをしていたので、全くもって彼の意図がわからなかった。

「きっと、気にいるよ」とは言うけど、すってん転んでパンストが破れなければね。なんて思いながらこわごわと細道を降ってゆくと突然中世の集落跡みたいな建物にたどり着いた。
きっと何百年もそのまま取り残された建物だろう。誰も手入れをしていない、野生化しちゃってる柿の木がたわわに実をつけている。
建物脇の細道をさらに進むとちょっと町、いや、集落かな? 数件のお家が見えてきた。
各家庭の家先には山の湧き水取りの小さな噴水があり、家の中から楽しそうな話し声が聞こえてくる。
こんな森の中に、今でも人が住んでいるんだ!
集落といっても、集うお家は10件も無い。そんな村の真ん中に歴史がありそうな教会が現れる。ちゃんと隣には司祭用のお家もついていると言うことは、ただの田舎教会ということでは無い。
でもイタリアの町に欠かせないバールも広場もない。教会に肩を寄せあうように家が数件あるだけ。



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なんども言っちゃうけど、本当に「こんな森の中に?」なんである。
はるか下界の喧騒も全く聞こえない。聞こえるのは山の湧き水を引いている水路の音のみ。村の風情があまりにも中世まんまで、道も道じゃなくて路と書いた方がぴったり。

ほんの数百メートル前までは茶色く焼かれた山だったのに、ぽっかりとオリーブ畑に埋もれたおとぎの村。
なんだか素敵な宝物を見つけちゃった❤️



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by viabellaitalia | 2019-01-09 01:42 | Buon viaggio通り | Comments(0)

モンテセッラから

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24日の飲み過ぎで、すっかり胃がやられて何も喉を通らないけど、25日のクリスマス当日ランチは避けられない。
クリスマスランチは伝統的に子羊肉。
しかも、さらに夕食も昨日のメンバーで肉食ディナー。。。。。。

草食じゃないけど、魚食の日本人には、胃焼けがなくても、すでに重い食事が続きます。

ランチとディナーの間の時間を使って、ちょっといい空気でも吸おうと、ピサの山 モンテ セッラへ。
空がぱきっと晴れ上がった日だったので、きっと夕焼けがきれいだろうなと思い、くねくね山道を車で上がって行きます。

つい2ヶ月前の10月にこの山は大きな山火事に見舞われたばかり。
ピサの町からも茶色の山肌が見えますが、辺り一面山火事で焼かれ、茶色の森の中の道を登って行くのは、山火事で焼かれた面積がいかに広かったかが、視覚的にあまりにインパクトが強い。

夕焼けを見ようとリボルノ方向の大パノラマが楽しめるポイントに車を停める。
眼下に広がる焼け野原。パノラマポイントの山小屋とは、ほんの20メートルしか離れていない。
よく山火事から助かったものだとおろどく近距離。
強風にあおられた10月の山火事は、幸いにも民家やこういった山小屋の被害はなかったけど、オリーブの畑や果樹園などの広大な面積が消失してしまった。
元に戻るには、数十年かかる。

私たちがモンテ セッラに登ったほんの10日ほど前に放火魔が逮捕されたとニュースが出ていた。
地元カルチ在住の男性でなんと元々森林警備のボランティアもしていた人だそうだ。
彼自身は容疑を否認しているらしいが、彼を弁護する弁護士が見つからないそうだ。
山火事が発生したであろう時間に、火元のポイントに彼の携帯のGPS信号が記録されているらしい。

そう言えば、昨今の携帯のGPS機能ってすごいですよね。
この夏、ドロミティで登山した山も、私の足跡がGoogleマップに全部記録されている。
果てはこの区画は歩いたとか、車で移動したとか、かなり細かい。。。。
携帯で写真を撮れば、場所 GPS記号まで記録されるし。

これは、しらは切れないよね。






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by viabellaitalia | 2019-01-07 21:19 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ソットグーダ自然公園の中にある聖アントニオ教会
2018年 8月



世界的な異常気象の激しさは年々ひどくなって来ている。
この夏は、ここローマは例年のような40度を超えるほどに暑くなる日がなかったのに、いつもなら扇風機だっていらないピサのお家が、オーブンのように暑くなって、眠れない日がずっと続いていた。

パートナーが生まれ故郷のドロミティ地方をいつか見せたいと常々言ってはいたけど、夏休みを利用してのドロミティへの旅行は今年の灼熱地獄のピサから逃げ出そうというところも大きかった。

年甲斐もなくタンクトップで短パンで、なんとかしのげるくらい暑かったピサからのドロミティの彼の生まれ故郷、ベッルーノ地方は、本当に涼しくって真夏に羽布団が嬉しいという変な経験をした。
ホテルのプールも室温が寒くって、プールから上がれない8月。

私が知っているイタリアと大きく違う別のイタリアは、すっかり心を魅了し、
登山をした時はとにかく怖かった荒々しい自然も、帰って来たら、また行きたいと何かが心を揺すぶる。

前回、ブログでご紹介したマルモラーダの昔の登山口だったソットグーダの自然公園も冬に両側の渓谷が凍りつく季節に、また行こうねと話していた。

ここ数日の悪天候は私が住むラツィオでも風速160kmの強風で多くの街路樹をなぎ倒され、ヴェネツィアは記録的な高潮に見舞われ、大雨に弱いリグーリアも土砂崩れの被害がひどく、観光地として有名なポルトフィーノへの陸路の道路が土砂崩れで塞がり、復旧は多分、来年の復活祭ごろになるだろうという話だ。

イタリアは災害に弱い。復旧に時間がかかるので、一度何かが起きると被害は大きく、長く続く。

世界的にも有名なベネツィアの高潮のニュースが多く語られる中、あまり報道されていなかったが、この夏に訪れたドロミティ地方の被害が凄まじい。

なんと最大瞬間風速が190kmを超える風がドロミティの渓谷の木々をなぎ倒し、あっちっこっちで土砂崩れが起こり、川ベリの道路は増水した川にえぐられ、まるで大震災の後のような様相だ。

この夏訪れたマルモラーダのケーブルカーの駅の駐車場も土砂が流れ込み、チベッタ岳の11時間登山から下山した後、痛い足を引きずりながら歩いたアルゲの町の湖畔も増水し危険な状態らしい。

マルモラーダのケーブルカーの駅がこんな状況なら、もっと山に近いイタリアの最も美しい村の一つであるソットグーダは? と心配になりニュースを探すと、土砂崩れの被害がすごいようだ。
ほんの2ヶ月前、その美しさに目を奪われたあの可愛らしい村が、土砂に埋もれて無残なことに。
もう一度、この冬にでも訪れたいと思っていたソットグーダの自然公園も、チケット売り場も土砂に埋まり、公園内の細い歩道は土砂に埋まらなかったところは川が増水し、形が全く残っていない、壊滅的な状態だと報道されている。
あっちこっちの川の増水、土砂崩れでドロミティ地方では現在飲料水さえ保証できないという話も聞こえて来てる。

風になぎ倒された木々が、この夏に見たような形、景色に戻るには100年以上、2世紀はかかるだろうという話だ。

今回ドロミティ地方を襲った強風はハリケーン並みで、しかもカテゴリー4ほどだったそうである。
地中海気候の国、イタリアで、である。。。。









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by viabellaitalia | 2018-11-03 02:38 | Buon viaggio通り | Comments(0)

Cosa?


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Cosa(コーザ)(具体的な)事、 (抽象的な)事象、出来事、事柄、行動・・・・・
Che cosa? (疑問代名詞として)何が、何を 
口語だとCheを省略して、しばしばCosa だけで なあに?と疑問代名詞として使う。


夏休みのある日、トスカーナの島にあるネロ皇帝の邸宅を見に行こうと、朝早くピサを出発したのに、島に渡るフェリーが出る港の手前の10kmですごい渋滞にハマり、みごとに船に乗り遅れた朝。

そう、港についたのが、船が出港時間 Just on timeである。

「ついてない!!!!!」とピサーノ氏のクサる気持ちはわからなくもない。
この船に乗りたくて、2時間半も車を飛ばしてきたのだもの。
ってか、島まで日帰りしようとするのも、すでにすごい。

が、あたくし、実はこの時トイレに行きたかった。
船に乗ったら、トイレにダッシュしようと思っていたのに、あてが外れてしまい、大至急どこかバールにでも立ち寄りたいいいいいいいい!!!!と申し出るも、ピサーノ氏、「だってここ車止めれないだろう!」プンプン!と郊外へ向かってハンドルを切る。

ぎゃああああ、漏れちゃう漏れちゃう!と大騒ぎで、目にしたガソリンスタンドに突っ込んでもらい、事なきを得る。

さて、ほっと一息ついて、さあ、どーしましょうか。

せっかくここまで来たしね。

「どっか見たいところある?」と聞かれても、まず自分がどこにいるのかわかってない。汗 地理弱いんですぅ。
こういう時のために普段から行って見たいところをGoogleマップに保存してあることを思い出す。

近くに見たいと思ってたネクロポリス、ありまっせ?

「うーん。。。。。あ! そうだ!」

「Antica città romana di Cosa! Cerchi su Google di Cosa!


さて、皆さんは、これを一発でわかった方はすごいです。

なんだったっけ! ほら! 古代ローマ都市 なんちゃらってあったよね! グーグルで探して見て?」とあたくしの脳みそ自動翻訳機がしちゃったために、車の中で大喧嘩勃発でございます。

Antica città romana di…cosa? 古代ローマ都市…..なあに?と返すと

ピサーノ氏が「Si! Di Cosa! そう、ほら、コーザ(なんちゃら)!」と言うので、

だーかーらー!!!!! なに!!!(Cosa!)

ピサーノ氏も「だーかーらー!!!! 言ってるだろ! Cosa(コーザ)だよ!」

だーからああああああ!!! Cosa( 何ちゃら)じゃ、わかんないって!!!!!!

「たあああああああ!!! 携帯かせ! 俺が探す!」

じゃあ、最初っから自分で探せよっ!!!と言いたいところをぐっと飲み込む。

「Antica città di Cosa 古代ローマ都市 なんちゃら(コーザ)」と入力するピサーノ氏を、そんなアバウトな検索があるんかい!と鼻息荒く手元を覗くと、

あれ? 




なんと・・・・・・古代ローマ都市のお名前がCosa コーザだそうです。。。。。

と言うことで、今回のCosaコーザは 何?ではなく、地名、固有名詞でございました。
こんなんあり?

イタリア語の意地悪。






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by viabellaitalia | 2018-10-16 01:05 | Buon viaggio通り | Comments(0)

ソットグーダの秘境

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イタリアの最も美しい村の一つでもあるソットグーダは、60年代までマルモラーダへの唯一の登山口だったそうです。

60年代までってことは・・・・先日ブログで紹介したマルモラーダのケーブルカーができるまでと言うことかな?

確かに私が乗ったケーブルカーは、いきなり岩壁絶壁の上にちょこんとケーブルカー駅があって、設置工事する前、どうやって登ったのかな?とは思ってました。

今では自然公園となっているソットグーダの村のはしから始まる、昔のマルモラーダへの登山口が、いきなりすごい秘境です。


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自然公園の謳い文句「マルモラーダのお膝元の峡谷」、そのままです。

細い歩道と雪渓の雪解け水が流れる川の両側はいきなり絶壁岩肌。自然の驚異ですね。
岩肌を見上げると上に道路が走ってますが、ひゃああああああ、めっちゃ高い。って、そんなに下にいるんだって驚きます。
なんだか地球に開いている切れ目の底を歩いている感じ。
自然公園として公開されている部分は全長2km。6月から9月までの開放です。
と言うのも、ここ、切れ目ですから、夏でも太陽に当たらない。ちょっと寒くなると峡谷をかたどる両サイドの岩壁が凍り始め、氷のキャニオンが出来上がりますが、ツルッツルなので、それなりの装備が必要かと。

その昔、ピサーノ氏のお友達が、氷のキャニオン見たさに行っちゃったらしいんですが、奥の奥まで行って、戻って来れなくなっちゃったそうで、急遽、ピサーノ氏のパドリーノ(洗礼の際の介添え人)と救出作戦を展開する羽目になったらしいです。
車がね、ツルツルで滑るからピサーノ氏が上に張り付いて重さを加えて、ハンドルを取れるようにしたそうで。
おいおい・・・・・・・・・。

ちょうど夕暮れ時の夕飯までの時間を潰しに入ったので、自然公園内の移動に便利な電気バスの最終便も出た後。先日のチベッタ岳登山の全身筋肉痛では、さすがに往復4kmはやめようねーと、今回は途中までしか行かなかったので、今度、もし行けたら、せっかくだから氷のキャニオン見たいな。
スケート履いてはいけるんじゃないかな?








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by viabellaitalia | 2018-10-06 00:02 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ドロミテに行くなら、ぜひ行ってみたいと思っていた場所がある。
イタリアの最も美しい村の一つ、ヴィピテーノ。

「ちょ・・・・遠い。もう国境近くじゃん!」とあっさりピサーノ氏、却下。

確かにチベッタ岳を真ん前に見る私たちが泊まったホテルからだと、車で小一時間。
トスカーナからはるばる来たんだもの、後一息!と言いたいところだけど、次回のドロミテ旅行のためにじゃあ、取っておこう。

多分、そんな会話を気にしていたんだろう。
この日も、ラガツィオの後、コルティーナ ダンペツォを周り、お城もみたし、夕食までの時間までと、彼が車で入り込んだ村は、もう入った途端「なにこれー!!! 可愛いいいいいいいいい」
ドロミテ地方特有の昔ながらの木造のお家や、窓辺に飾られた花たちもこの地方の他の町と変わらないのに、どこにカメラを向けても絵になっちゃう。


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「ここも、ミカが行きたいと行っていた町と同じように、イタリアで最も美しい村の一つなんだよ」

すみませんが、最もって、一体何箇所あるんすか?と突っ込みたいところだけど、そんな斜め目線になる必要がない。

もう本当に、可愛く、美しい。町の人たちの演出が、またなんとも微笑ましい。

多分、第一次世界大戦の頃の兵士とこcの地方の伝統衣装を纏った村娘の人形が古いお家の軒先に置かれていた。
きっとあの時代、この人形のカップルのように多くのカップルが、村娘たちが恋人の出兵を送ったのだろう。
このソットグーダの村はドロミテで一番標高が高いマルモラーダまでの唯一の道だったのだそうだ。
ドロミテの山々で散ったオーストリア兵もイタリア兵も、その多くが18歳から20歳ほどの若者たちだったと聞いている。


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by viabellaitalia | 2018-10-03 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)

アンダースの城

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「確か、この辺に・・・お城があったはず。お城見たい?」とピサーノ氏。

この日は、ずっと第一次世界大戦跡を回ってたので、ちょっと別なものが見たいなーと思い始めた夕方。

お城?

「うん。Castello di Andraz アンダース城」

と名前が、なんか可愛い。
細い脇道に入って行くのも、なかなかそそられるシチュエーションである。

車で入っていって大丈夫?な細い道は、どうやら、本当はトレッキング路っぽく、トレッキング客が、なんだよー、こんなとこ車で入って来るんかい!な視線が痛かったけど、二日前に登ったチベッタ岳登山で全身筋肉痛で、もう便座に座るのも辛いくらい 笑 だったので、許して。

森の中から現れた城は・・・・・お城というより・・・・砦?
なんとこちらの城、もとい砦は1000年ぐらいにここに建てられたという代物でございます。
えっと、今、2018年だから、1000年前ですね。
先日のWW1博物館がほぼ100年前だったので、その10倍古い。
イタリアって、いきなり1000年とか2000年とかの時空を超えるので、100年くらいは新しいな・・・・と感じたのはあながち、間違いではない。




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この砦がちゃんとした記録に記載されたのは1221年だそうで、めっちゃ中世ですね。
ドロミテの山々に囲まれた谷の中で、ちょっと小高い丘の上にぽっこりと出た岩の部分に建てられたこの砦は、現代の携帯電話会社のアンテナ中継タワーでございました。と言っちゃうとわかりやすいかも。
他のこういった砦と交信するための、通信班駐屯地基地だったそうです。

こう言った小規模な兵士グループの駐屯地には、きっと兵士の家族たちも一緒に暮らしていただろうと、そんなことが伺えるような作りになっているそうです。上階に大きな台所があり、最初は、台所横の広間が隊長の部屋だったのが、のちに、やっぱり兵士と将校は差をつけるべしと、隊長のお部屋はさらに上階を増設し、そちらへ移動。
だよね。み今みたいにテレビとかないですし、娯楽もなかっただろうから、ご飯食べた後は、みんな食卓に残って、大騒ぎだろうし。
そりゃあ、隊長、寝れないって。笑
1000年以上経った今、なぜそういった部屋の移動みたいなものが伺えるかというと、後で作られたであろう上の階の隊長の住居部分は壁が石灰で滑らかにされてたり、絵や文字などえ装飾がされて、さらに隊長用にキッチンも上の階に併設されていたりと、構造上、「気配り」が見えるそうです。笑

こんな山奥のしかも見晴らし台みたいな場所に建っている砦ですから、風も強くて寒かっただろうなと。
窓枠や、部屋の仕切りには暖房を逃がさない、寒気を入れないように木材が使われたのも、長い年月にも朽ちることなく、残っている部分もあります。

各階の外壁に近い、一見、窓際?な場所には、ぽっとん式のおトイレも設備あり。笑 
小高い丘の岩の上に建てられた要塞ですから、下は自然のお堀、川が流れています。
うまい具合にそのまま川に落ちるようになっているそうで。
中世のちょっと乱暴だけど、コンセプトは水洗トイレ?



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この砦はその後、改修、改築されて大きくなり、形ももっとお城っぽくなって行ったそうですが、15世紀に山火事に合い、そのまま見捨てられ、忘れ去られたまま、数世紀がすぎた現代、20世紀の世界大戦時に爆撃に合い、このように崩れちゃったそうです。

せっかく20世紀までちゃんと現存していたのに、もったいないな・・・・・・・・・。
元々が交信の目的の砦だったので、偵察などにはぴったりの土地だっただろうし、爆撃の目標にはなりやすい立地条件だったかもしれませんね。

そんな現代の戦争から生きながらえた少ない資料でさえ、過去にこの砦で営まれていた兵士たちの生活を雄弁に語ります。こんな、北イタリアのしかも山奥で、隊長さんはスペインはマヨルカ産の陶器をご愛用だったとか。
中世の時代の人の行き来、交易の範囲がすごいなーと感心したら、「ローマのマッシモ宮のミイラのこと忘れた?」とピサーノ氏。

そうだった。ローマのマッシモ宮の博物館には帝政ローマ時代のミイラが展示されています。
ミイラはエジプトではよく作られていましたが、ローマではなかった習慣で、このミイラは古代ローマ、帝政時代とすべてのローマの時代の唯一のミイラです。
ミイラは8歳の女の子だそうで、ローマの中でも裕福な家の子供だったのでしょう。
彼女は中国産のシルクの衣装にバルト海地方の宝石を身に纏い埋葬されていました。

人類の歴史ってすごいですよね。時を超えて、私たちに当時の生活を語りかけて来る。

それにしても、中世の砦でございますから、
小さく狭い階段をひたすら登るのは、全身筋肉痛のおばちゃんには辛かったです。







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by viabellaitalia | 2018-10-01 18:54 | Buon viaggio通り | Comments(0)

カプローナの塔


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正直、まだまだダンテ アリギエーリさん、よく学んでません。
此の前なんか、マッキアベリさんと一緒くたにしてしまいました。

だって、日本では世界史で、イタリアの詩人ダンテの神曲が、イタリア語の標準語の規範となった。のたった1行なんですもん。
全く個人的な見解なんですが、ダンテ アリギエーリの横顔の肖像画が有名ですが、私・・・・・彼の鼻が嫌いです。笑
なもんで、どうも勉強しようという意欲がわかない。(しょうもない理由で、すみません)


しかも、フィレンツェ人のダンテさん、ローマにいると、まず絡みません。

そんな中、私が歴史を学ぶのにローマで6年通った学校がダンテ アリギエーリ協会でしたが、なぜにローマでダンテ?と思いきや、ローマのフィレンツェ広場に建つ学校の建物が、昔、トスカーナ大公国大使館だったと聞いて、納得。

ローマだけど、中はいきなりフィレンツェでございます。その昔、ガリレオ ガリレイ(ピサ人)もお泊まりになっちゃった場所です。

ローマにいる限り、あんまり絡まない歴史上人物だったダンテさんですが、ピサに通いだすと、あっちこっちでその足跡にぶち当たります。

ピサの街中を歩いてると、ここはーダンテが、神曲で・・・・と。
ああ、ごめんなさい。私、ダンテさんのこともあまりよく知らないし、神曲なんか1行も知らない。
イタリアの大物俳優、映画監督でもあるロベルト ベニーニがたまに、テレビでダンテの神曲を朗読する番組をやりますが、神曲を知らないだけに、全然笑えなくってつまんない。しかも彼のかきくけこが抜けちゃうハフハフ、ハヒフヘホーなトスカーナ弁がわからない・・・・・・。

いつかはちゃんとお勉強しないといけないと思っています。

昨日の記事でも書きましたが、現在山火事で大変なことになっているピサのモンテ セッラに、この夏に行った帰り際、小高い丘のてっぺんにポツンと建つ塔を指差し、「ほら! あの塔は、詩人のダンテ アリギエーリがその昔、戦ったところなんだよ。」とピサーノ氏。

今はLa torre di Capronaと呼ばれますが、本当の名前はTorre degli Upezzinghi。
13世紀頃、ここには要塞、カプローナ城があったそうですが、1289年8月の16日にダンテもフィレンツェ軍の一兵士として戦ったカプローナ城の戦いのときに壊され、塔だけが残ったところです。さらにその後も、その土地が石切場として、どんどん採石されちゃって、下が断崖絶壁になっちゃたところだそうで、現在は・・・・・自殺の名所だそうです。汗

ダンテが神曲の地獄篇で、この時の戦いを書いている部分があります。

Per ch'io mi mossi e a lui venni ratto;
e i diavoli si fecer tutti avanti,
sì ch'io temetti ch'ei tenesser patto;

così vid'ïo già temer li fanti
ch'uscivan patteggiati di Caprona,
veggendo sé tra nemici cotanti.


休戦協定がなされ、恐々と出てくるピサ軍兵士たちの恐怖に怯えた顔を歌っているとか。

昨晩、ニュースに流れた、中々鎮火しないモンテ セッラの映像が、もうまさに地獄絵で。
このダンテが戦ったという塔の背後に燃え盛る山火事が、私にはまるでダンテの神曲 地獄篇そのままに見え、結構怖かったです。
ダンテって結構、執念深かったと聞いてますが、なんか残っちゃったのかしら?ってそんなことはないか。


やっぱり、ちゃんとお勉強しないとな・・・・・。



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Photo by http://www.sienanews.it








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by viabellaitalia | 2018-09-27 00:12 | Buon viaggio通り | Comments(0)

WW1って?

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ラガツォイで出会った語り部オーストリア兵さんの話を聞いて、もう少しイタリア人が偉大な戦争 Grande Guerraと呼ぶ第一次世界大戦のことを、イタリア側の観点で、知りたいと思う気持ちを新たに、山を降りる。

「コルティーナ ダンペッツォの街に行く前に、ここから2kmほどの距離に博物館があるみたいだから、寄ろうよ」と連れて行かれた博物館は ドロミテの雄大な峡谷の平地にぽつねんと石造りの建物。

さて、Museo WW1 Tre Sassiと書いてあるけど、なんの博物館なんだろう?

えっと・・・・・WW1? WW1って???? 


脳内メモリーフル稼働で「もしかして、World War 1? 」とわかるまで秒差かかっちゃいました。

もおおお、なんでここだけ英語なのよ! 今まで散々Grande Guerraとか言っておきながら!と怒る外人のあたくし。
土台、MuseoもTre Sassiもイタリア語でしょうに。

WW1博物館の、この建物自体が、第一次世界大戦前から砦として使われたもので、1915年の7月に爆撃されたものを、その後、この地域活性事業の一つとして復元させ、戦場跡などの発掘調査で出てきたものを展示しています。
戦争前はこの辺りはオーストリア領で、イタリア軍の侵攻から守るための砦だったそうです。
戦場跡の発掘では、オーストリア側だけではなく、この地で戦ったイタリア側のものも多く出てきます。
そして、現在、ここはイタリア領。
この博物館では、当時敵対しあったオーストリア軍とイタリア軍、双方の品物が「仲良く」展示されています。
きっと、博物館の名前も、オーストリアとイタリアも一緒の博物館だから、ドイツ語表記でもなく、イタリア語表記でもなく、間をとって英語にしたんじゃないかなと思います。
展示品の数々を見ていると、100年と言う年月は、そんなに遠くないんだなと。
展示品の多くは、この砦に置き忘れた、また周りから出た生活用品。軍服や武器はもちろん医療器具。
保存食であっただろう、缶詰の空き缶など、保存状態が良いものは、まるで、ついこの前のもの?のように見えるものもありました。
日本の神風特攻隊が飛び立つ前に家族に手紙を残したこともありますが、この博物館にも、そんな風に死を覚悟したイタリア人兵士の家族への手紙が展示してありました。
戦争とはいえ、前線で戦ったのは個々人。
国は違うけどみんな同じぐらいの年齢だった若者たちで、ましてや、ドロミテ地方は歴史的に長くオーストリア、ハプスブルグ家領であったけど、そこで暮らした人たちは言語だってドイツ語が共通だったし、この地方特有の言語もあったし、実はイタリアだ、オーストリアだという境界線が果たしてそれほど重要だったのだろうか? 


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"Questo museo vuole raccontare la storia da parte dei soldati
e non dai generali, o dalla politica, da parte dei vinti e non dai vincitori."


写真は博物館のフェイスブックページからお借りしました
仲良く、オーストリア兵とイタリア兵で記念撮影というのが、
とってもこの博物館を表現しているので。



以前、イタリアの公営放送局Rai ライで作られた、このドロミテ地方を舞台に、第一次世界大戦を時代背景にしたテレビ映画がありましたが、その映画のワンシーンで、たぶんクリスマスかな? たとえ戦争でもね、クリスマスは休戦です。そんな日に見回りをしていたオーストリア兵の青年は、雪山で遭難しかけているイタリア軍兵士を発見します。
近づくと、なんと彼の幼馴染。
衰弱し凍死しかねない友人を彼はオーストリア軍の基地へ連れて行きます。
基地内の他のオーストリア兵たちは敵を連れてきたなんて!きっと囮で後をつけられたに違いないと非難するわけですが、自分の幼馴染を見捨てはできない!と庇うと言う展開が、この映画を見たとき、正直なところ、私も、まあ、映画だしね、こう言うシーンも書いちゃうよね。とは思いましたが、ピサーノ氏が生まれた当初、ご両親が住んでいたと言うベネト州のベルン地方のお家の前を通ったとき、ほんの数メートルで「戦争前はね、ここからオーストリア領で、税関、入国審査事務所があったんだよ」って、道1本挟んでじゃございませんか?の距離で。

あっ、もちろん、ピサーノ氏、100歳とかじゃないですよー。
彼が生まれるずっと前、第一次世界大戦の前の話でございますが、この距離を目にすると、あのテレビ映画のシーン、あながち、あり得たお話だったなと妙に納得。

ローマで通った歴史コースの教授の「歴史を理解する、学ぶと言うことは地理に長けていないとダメなんですよ」と言っていた言葉を、ふと思い出しました。








最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



by viabellaitalia | 2018-09-19 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)