カテゴリ:Buon viaggio通り( 63 )

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ソットグーダ自然公園の中にある聖アントニオ教会
2018年 8月



世界的な異常気象の激しさは年々ひどくなって来ている。
この夏は、ここローマは例年のような40度を超えるほどに暑くなる日がなかったのに、いつもなら扇風機だっていらないピサのお家が、オーブンのように暑くなって、眠れない日がずっと続いていた。

パートナーが生まれ故郷のドロミティ地方をいつか見せたいと常々言ってはいたけど、夏休みを利用してのドロミティへの旅行は今年の灼熱地獄のピサから逃げ出そうというところも大きかった。

年甲斐もなくタンクトップで短パンで、なんとかしのげるくらい暑かったピサからのドロミティの彼の生まれ故郷、ベッルーノ地方は、本当に涼しくって真夏に羽布団が嬉しいという変な経験をした。
ホテルのプールも室温が寒くって、プールから上がれない8月。

私が知っているイタリアと大きく違う別のイタリアは、すっかり心を魅了し、
登山をした時はとにかく怖かった荒々しい自然も、帰って来たら、また行きたいと何かが心を揺すぶる。

前回、ブログでご紹介したマルモラーダの昔の登山口だったソットグーダの自然公園も冬に両側の渓谷が凍りつく季節に、また行こうねと話していた。

ここ数日の悪天候は私が住むラツィオでも風速160kmの強風で多くの街路樹をなぎ倒され、ヴェネツィアは記録的な高潮に見舞われ、大雨に弱いリグーリアも土砂崩れの被害がひどく、観光地として有名なポルトフィーノへの陸路の道路が土砂崩れで塞がり、復旧は多分、来年の復活祭ごろになるだろうという話だ。

イタリアは災害に弱い。復旧に時間がかかるので、一度何かが起きると被害は大きく、長く続く。

世界的にも有名なベネツィアの高潮のニュースが多く語られる中、あまり報道されていなかったが、この夏に訪れたドロミティ地方の被害が凄まじい。

なんと最大瞬間風速が190kmを超える風がドロミティの渓谷の木々をなぎ倒し、あっちっこっちで土砂崩れが起こり、川ベリの道路は増水した川にえぐられ、まるで大震災の後のような様相だ。

この夏訪れたマルモラーダのケーブルカーの駅の駐車場も土砂が流れ込み、チベッタ岳の11時間登山から下山した後、痛い足を引きずりながら歩いたアルゲの町の湖畔も増水し危険な状態らしい。

マルモラーダのケーブルカーの駅がこんな状況なら、もっと山に近いイタリアの最も美しい村の一つであるソットグーダは? と心配になりニュースを探すと、土砂崩れの被害がすごいようだ。
ほんの2ヶ月前、その美しさに目を奪われたあの可愛らしい村が、土砂に埋もれて無残なことに。
もう一度、この冬にでも訪れたいと思っていたソットグーダの自然公園も、チケット売り場も土砂に埋まり、公園内の細い歩道は土砂に埋まらなかったところは川が増水し、形が全く残っていない、壊滅的な状態だと報道されている。
あっちこっちの川の増水、土砂崩れでドロミティ地方では現在飲料水さえ保証できないという話も聞こえて来てる。

風になぎ倒された木々が、この夏に見たような形、景色に戻るには100年以上、2世紀はかかるだろうという話だ。

今回ドロミティ地方を襲った強風はハリケーン並みで、しかもカテゴリー4ほどだったそうである。
地中海気候の国、イタリアで、である。。。。









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by viabellaitalia | 2018-11-03 02:38 | Buon viaggio通り | Comments(0)

Cosa?


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Cosa(コーザ)(具体的な)事、 (抽象的な)事象、出来事、事柄、行動・・・・・
Che cosa? (疑問代名詞として)何が、何を 
口語だとCheを省略して、しばしばCosa だけで なあに?と疑問代名詞として使う。


夏休みのある日、トスカーナの島にあるネロ皇帝の邸宅を見に行こうと、朝早くピサを出発したのに、島に渡るフェリーが出る港の手前の10kmですごい渋滞にハマり、みごとに船に乗り遅れた朝。

そう、港についたのが、船が出港時間 Just on timeである。

「ついてない!!!!!」とピサーノ氏のクサる気持ちはわからなくもない。
この船に乗りたくて、2時間半も車を飛ばしてきたのだもの。
ってか、島まで日帰りしようとするのも、すでにすごい。

が、あたくし、実はこの時トイレに行きたかった。
船に乗ったら、トイレにダッシュしようと思っていたのに、あてが外れてしまい、大至急どこかバールにでも立ち寄りたいいいいいいいい!!!!と申し出るも、ピサーノ氏、「だってここ車止めれないだろう!」プンプン!と郊外へ向かってハンドルを切る。

ぎゃああああ、漏れちゃう漏れちゃう!と大騒ぎで、目にしたガソリンスタンドに突っ込んでもらい、事なきを得る。

さて、ほっと一息ついて、さあ、どーしましょうか。

せっかくここまで来たしね。

「どっか見たいところある?」と聞かれても、まず自分がどこにいるのかわかってない。汗 地理弱いんですぅ。
こういう時のために普段から行って見たいところをGoogleマップに保存してあることを思い出す。

近くに見たいと思ってたネクロポリス、ありまっせ?

「うーん。。。。。あ! そうだ!」

「Antica città romana di Cosa! Cerchi su Google di Cosa!


さて、皆さんは、これを一発でわかった方はすごいです。

なんだったっけ! ほら! 古代ローマ都市 なんちゃらってあったよね! グーグルで探して見て?」とあたくしの脳みそ自動翻訳機がしちゃったために、車の中で大喧嘩勃発でございます。

Antica città romana di…cosa? 古代ローマ都市…..なあに?と返すと

ピサーノ氏が「Si! Di Cosa! そう、ほら、コーザ(なんちゃら)!」と言うので、

だーかーらー!!!!! なに!!!(Cosa!)

ピサーノ氏も「だーかーらー!!!! 言ってるだろ! Cosa(コーザ)だよ!」

だーからああああああ!!! Cosa( 何ちゃら)じゃ、わかんないって!!!!!!

「たあああああああ!!! 携帯かせ! 俺が探す!」

じゃあ、最初っから自分で探せよっ!!!と言いたいところをぐっと飲み込む。

「Antica città di Cosa 古代ローマ都市 なんちゃら(コーザ)」と入力するピサーノ氏を、そんなアバウトな検索があるんかい!と鼻息荒く手元を覗くと、

あれ? 




なんと・・・・・・古代ローマ都市のお名前がCosa コーザだそうです。。。。。

と言うことで、今回のCosaコーザは 何?ではなく、地名、固有名詞でございました。
こんなんあり?

イタリア語の意地悪。






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by viabellaitalia | 2018-10-16 01:05 | Buon viaggio通り | Comments(0)

ソットグーダの秘境

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イタリアの最も美しい村の一つでもあるソットグーダは、60年代までマルモラーダへの唯一の登山口だったそうです。

60年代までってことは・・・・先日ブログで紹介したマルモラーダのケーブルカーができるまでと言うことかな?

確かに私が乗ったケーブルカーは、いきなり岩壁絶壁の上にちょこんとケーブルカー駅があって、設置工事する前、どうやって登ったのかな?とは思ってました。

今では自然公園となっているソットグーダの村のはしから始まる、昔のマルモラーダへの登山口が、いきなりすごい秘境です。


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自然公園の謳い文句「マルモラーダのお膝元の峡谷」、そのままです。

細い歩道と雪渓の雪解け水が流れる川の両側はいきなり絶壁岩肌。自然の驚異ですね。
岩肌を見上げると上に道路が走ってますが、ひゃああああああ、めっちゃ高い。って、そんなに下にいるんだって驚きます。
なんだか地球に開いている切れ目の底を歩いている感じ。
自然公園として公開されている部分は全長2km。6月から9月までの開放です。
と言うのも、ここ、切れ目ですから、夏でも太陽に当たらない。ちょっと寒くなると峡谷をかたどる両サイドの岩壁が凍り始め、氷のキャニオンが出来上がりますが、ツルッツルなので、それなりの装備が必要かと。

その昔、ピサーノ氏のお友達が、氷のキャニオン見たさに行っちゃったらしいんですが、奥の奥まで行って、戻って来れなくなっちゃったそうで、急遽、ピサーノ氏のパドリーノ(洗礼の際の介添え人)と救出作戦を展開する羽目になったらしいです。
車がね、ツルツルで滑るからピサーノ氏が上に張り付いて重さを加えて、ハンドルを取れるようにしたそうで。
おいおい・・・・・・・・・。

ちょうど夕暮れ時の夕飯までの時間を潰しに入ったので、自然公園内の移動に便利な電気バスの最終便も出た後。先日のチベッタ岳登山の全身筋肉痛では、さすがに往復4kmはやめようねーと、今回は途中までしか行かなかったので、今度、もし行けたら、せっかくだから氷のキャニオン見たいな。
スケート履いてはいけるんじゃないかな?








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by viabellaitalia | 2018-10-06 00:02 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ドロミテに行くなら、ぜひ行ってみたいと思っていた場所がある。
イタリアの最も美しい村の一つ、ヴィピテーノ。

「ちょ・・・・遠い。もう国境近くじゃん!」とあっさりピサーノ氏、却下。

確かにチベッタ岳を真ん前に見る私たちが泊まったホテルからだと、車で小一時間。
トスカーナからはるばる来たんだもの、後一息!と言いたいところだけど、次回のドロミテ旅行のためにじゃあ、取っておこう。

多分、そんな会話を気にしていたんだろう。
この日も、ラガツィオの後、コルティーナ ダンペツォを周り、お城もみたし、夕食までの時間までと、彼が車で入り込んだ村は、もう入った途端「なにこれー!!! 可愛いいいいいいいいい」
ドロミテ地方特有の昔ながらの木造のお家や、窓辺に飾られた花たちもこの地方の他の町と変わらないのに、どこにカメラを向けても絵になっちゃう。


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「ここも、ミカが行きたいと行っていた町と同じように、イタリアで最も美しい村の一つなんだよ」

すみませんが、最もって、一体何箇所あるんすか?と突っ込みたいところだけど、そんな斜め目線になる必要がない。

もう本当に、可愛く、美しい。町の人たちの演出が、またなんとも微笑ましい。

多分、第一次世界大戦の頃の兵士とこcの地方の伝統衣装を纏った村娘の人形が古いお家の軒先に置かれていた。
きっとあの時代、この人形のカップルのように多くのカップルが、村娘たちが恋人の出兵を送ったのだろう。
このソットグーダの村はドロミテで一番標高が高いマルモラーダまでの唯一の道だったのだそうだ。
ドロミテの山々で散ったオーストリア兵もイタリア兵も、その多くが18歳から20歳ほどの若者たちだったと聞いている。


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by viabellaitalia | 2018-10-03 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)

アンダースの城

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「確か、この辺に・・・お城があったはず。お城見たい?」とピサーノ氏。

この日は、ずっと第一次世界大戦跡を回ってたので、ちょっと別なものが見たいなーと思い始めた夕方。

お城?

「うん。Castello di Andraz アンダース城」

と名前が、なんか可愛い。
細い脇道に入って行くのも、なかなかそそられるシチュエーションである。

車で入っていって大丈夫?な細い道は、どうやら、本当はトレッキング路っぽく、トレッキング客が、なんだよー、こんなとこ車で入って来るんかい!な視線が痛かったけど、二日前に登ったチベッタ岳登山で全身筋肉痛で、もう便座に座るのも辛いくらい 笑 だったので、許して。

森の中から現れた城は・・・・・お城というより・・・・砦?
なんとこちらの城、もとい砦は1000年ぐらいにここに建てられたという代物でございます。
えっと、今、2018年だから、1000年前ですね。
先日のWW1博物館がほぼ100年前だったので、その10倍古い。
イタリアって、いきなり1000年とか2000年とかの時空を超えるので、100年くらいは新しいな・・・・と感じたのはあながち、間違いではない。




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この砦がちゃんとした記録に記載されたのは1221年だそうで、めっちゃ中世ですね。
ドロミテの山々に囲まれた谷の中で、ちょっと小高い丘の上にぽっこりと出た岩の部分に建てられたこの砦は、現代の携帯電話会社のアンテナ中継タワーでございました。と言っちゃうとわかりやすいかも。
他のこういった砦と交信するための、通信班駐屯地基地だったそうです。

こう言った小規模な兵士グループの駐屯地には、きっと兵士の家族たちも一緒に暮らしていただろうと、そんなことが伺えるような作りになっているそうです。上階に大きな台所があり、最初は、台所横の広間が隊長の部屋だったのが、のちに、やっぱり兵士と将校は差をつけるべしと、隊長のお部屋はさらに上階を増設し、そちらへ移動。
だよね。み今みたいにテレビとかないですし、娯楽もなかっただろうから、ご飯食べた後は、みんな食卓に残って、大騒ぎだろうし。
そりゃあ、隊長、寝れないって。笑
1000年以上経った今、なぜそういった部屋の移動みたいなものが伺えるかというと、後で作られたであろう上の階の隊長の住居部分は壁が石灰で滑らかにされてたり、絵や文字などえ装飾がされて、さらに隊長用にキッチンも上の階に併設されていたりと、構造上、「気配り」が見えるそうです。笑

こんな山奥のしかも見晴らし台みたいな場所に建っている砦ですから、風も強くて寒かっただろうなと。
窓枠や、部屋の仕切りには暖房を逃がさない、寒気を入れないように木材が使われたのも、長い年月にも朽ちることなく、残っている部分もあります。

各階の外壁に近い、一見、窓際?な場所には、ぽっとん式のおトイレも設備あり。笑 
小高い丘の岩の上に建てられた要塞ですから、下は自然のお堀、川が流れています。
うまい具合にそのまま川に落ちるようになっているそうで。
中世のちょっと乱暴だけど、コンセプトは水洗トイレ?



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この砦はその後、改修、改築されて大きくなり、形ももっとお城っぽくなって行ったそうですが、15世紀に山火事に合い、そのまま見捨てられ、忘れ去られたまま、数世紀がすぎた現代、20世紀の世界大戦時に爆撃に合い、このように崩れちゃったそうです。

せっかく20世紀までちゃんと現存していたのに、もったいないな・・・・・・・・・。
元々が交信の目的の砦だったので、偵察などにはぴったりの土地だっただろうし、爆撃の目標にはなりやすい立地条件だったかもしれませんね。

そんな現代の戦争から生きながらえた少ない資料でさえ、過去にこの砦で営まれていた兵士たちの生活を雄弁に語ります。こんな、北イタリアのしかも山奥で、隊長さんはスペインはマヨルカ産の陶器をご愛用だったとか。
中世の時代の人の行き来、交易の範囲がすごいなーと感心したら、「ローマのマッシモ宮のミイラのこと忘れた?」とピサーノ氏。

そうだった。ローマのマッシモ宮の博物館には帝政ローマ時代のミイラが展示されています。
ミイラはエジプトではよく作られていましたが、ローマではなかった習慣で、このミイラは古代ローマ、帝政時代とすべてのローマの時代の唯一のミイラです。
ミイラは8歳の女の子だそうで、ローマの中でも裕福な家の子供だったのでしょう。
彼女は中国産のシルクの衣装にバルト海地方の宝石を身に纏い埋葬されていました。

人類の歴史ってすごいですよね。時を超えて、私たちに当時の生活を語りかけて来る。

それにしても、中世の砦でございますから、
小さく狭い階段をひたすら登るのは、全身筋肉痛のおばちゃんには辛かったです。







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by viabellaitalia | 2018-10-01 18:54 | Buon viaggio通り | Comments(0)

カプローナの塔


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正直、まだまだダンテ アリギエーリさん、よく学んでません。
此の前なんか、マッキアベリさんと一緒くたにしてしまいました。

だって、日本では世界史で、イタリアの詩人ダンテの神曲が、イタリア語の標準語の規範となった。のたった1行なんですもん。
全く個人的な見解なんですが、ダンテ アリギエーリの横顔の肖像画が有名ですが、私・・・・・彼の鼻が嫌いです。笑
なもんで、どうも勉強しようという意欲がわかない。(しょうもない理由で、すみません)


しかも、フィレンツェ人のダンテさん、ローマにいると、まず絡みません。

そんな中、私が歴史を学ぶのにローマで6年通った学校がダンテ アリギエーリ協会でしたが、なぜにローマでダンテ?と思いきや、ローマのフィレンツェ広場に建つ学校の建物が、昔、トスカーナ大公国大使館だったと聞いて、納得。

ローマだけど、中はいきなりフィレンツェでございます。その昔、ガリレオ ガリレイ(ピサ人)もお泊まりになっちゃった場所です。

ローマにいる限り、あんまり絡まない歴史上人物だったダンテさんですが、ピサに通いだすと、あっちこっちでその足跡にぶち当たります。

ピサの街中を歩いてると、ここはーダンテが、神曲で・・・・と。
ああ、ごめんなさい。私、ダンテさんのこともあまりよく知らないし、神曲なんか1行も知らない。
イタリアの大物俳優、映画監督でもあるロベルト ベニーニがたまに、テレビでダンテの神曲を朗読する番組をやりますが、神曲を知らないだけに、全然笑えなくってつまんない。しかも彼のかきくけこが抜けちゃうハフハフ、ハヒフヘホーなトスカーナ弁がわからない・・・・・・。

いつかはちゃんとお勉強しないといけないと思っています。

昨日の記事でも書きましたが、現在山火事で大変なことになっているピサのモンテ セッラに、この夏に行った帰り際、小高い丘のてっぺんにポツンと建つ塔を指差し、「ほら! あの塔は、詩人のダンテ アリギエーリがその昔、戦ったところなんだよ。」とピサーノ氏。

今はLa torre di Capronaと呼ばれますが、本当の名前はTorre degli Upezzinghi。
13世紀頃、ここには要塞、カプローナ城があったそうですが、1289年8月の16日にダンテもフィレンツェ軍の一兵士として戦ったカプローナ城の戦いのときに壊され、塔だけが残ったところです。さらにその後も、その土地が石切場として、どんどん採石されちゃって、下が断崖絶壁になっちゃたところだそうで、現在は・・・・・自殺の名所だそうです。汗

ダンテが神曲の地獄篇で、この時の戦いを書いている部分があります。

Per ch'io mi mossi e a lui venni ratto;
e i diavoli si fecer tutti avanti,
sì ch'io temetti ch'ei tenesser patto;

così vid'ïo già temer li fanti
ch'uscivan patteggiati di Caprona,
veggendo sé tra nemici cotanti.


休戦協定がなされ、恐々と出てくるピサ軍兵士たちの恐怖に怯えた顔を歌っているとか。

昨晩、ニュースに流れた、中々鎮火しないモンテ セッラの映像が、もうまさに地獄絵で。
このダンテが戦ったという塔の背後に燃え盛る山火事が、私にはまるでダンテの神曲 地獄篇そのままに見え、結構怖かったです。
ダンテって結構、執念深かったと聞いてますが、なんか残っちゃったのかしら?ってそんなことはないか。


やっぱり、ちゃんとお勉強しないとな・・・・・。



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Photo by http://www.sienanews.it








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by viabellaitalia | 2018-09-27 00:12 | Buon viaggio通り | Comments(0)

WW1って?

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ラガツォイで出会った語り部オーストリア兵さんの話を聞いて、もう少しイタリア人が偉大な戦争 Grande Guerraと呼ぶ第一次世界大戦のことを、イタリア側の観点で、知りたいと思う気持ちを新たに、山を降りる。

「コルティーナ ダンペッツォの街に行く前に、ここから2kmほどの距離に博物館があるみたいだから、寄ろうよ」と連れて行かれた博物館は ドロミテの雄大な峡谷の平地にぽつねんと石造りの建物。

さて、Museo WW1 Tre Sassiと書いてあるけど、なんの博物館なんだろう?

えっと・・・・・WW1? WW1って???? 


脳内メモリーフル稼働で「もしかして、World War 1? 」とわかるまで秒差かかっちゃいました。

もおおお、なんでここだけ英語なのよ! 今まで散々Grande Guerraとか言っておきながら!と怒る外人のあたくし。
土台、MuseoもTre Sassiもイタリア語でしょうに。

WW1博物館の、この建物自体が、第一次世界大戦前から砦として使われたもので、1915年の7月に爆撃されたものを、その後、この地域活性事業の一つとして復元させ、戦場跡などの発掘調査で出てきたものを展示しています。
戦争前はこの辺りはオーストリア領で、イタリア軍の侵攻から守るための砦だったそうです。
戦場跡の発掘では、オーストリア側だけではなく、この地で戦ったイタリア側のものも多く出てきます。
そして、現在、ここはイタリア領。
この博物館では、当時敵対しあったオーストリア軍とイタリア軍、双方の品物が「仲良く」展示されています。
きっと、博物館の名前も、オーストリアとイタリアも一緒の博物館だから、ドイツ語表記でもなく、イタリア語表記でもなく、間をとって英語にしたんじゃないかなと思います。
展示品の数々を見ていると、100年と言う年月は、そんなに遠くないんだなと。
展示品の多くは、この砦に置き忘れた、また周りから出た生活用品。軍服や武器はもちろん医療器具。
保存食であっただろう、缶詰の空き缶など、保存状態が良いものは、まるで、ついこの前のもの?のように見えるものもありました。
日本の神風特攻隊が飛び立つ前に家族に手紙を残したこともありますが、この博物館にも、そんな風に死を覚悟したイタリア人兵士の家族への手紙が展示してありました。
戦争とはいえ、前線で戦ったのは個々人。
国は違うけどみんな同じぐらいの年齢だった若者たちで、ましてや、ドロミテ地方は歴史的に長くオーストリア、ハプスブルグ家領であったけど、そこで暮らした人たちは言語だってドイツ語が共通だったし、この地方特有の言語もあったし、実はイタリアだ、オーストリアだという境界線が果たしてそれほど重要だったのだろうか? 


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"Questo museo vuole raccontare la storia da parte dei soldati
e non dai generali, o dalla politica, da parte dei vinti e non dai vincitori."


写真は博物館のフェイスブックページからお借りしました
仲良く、オーストリア兵とイタリア兵で記念撮影というのが、
とってもこの博物館を表現しているので。



以前、イタリアの公営放送局Rai ライで作られた、このドロミテ地方を舞台に、第一次世界大戦を時代背景にしたテレビ映画がありましたが、その映画のワンシーンで、たぶんクリスマスかな? たとえ戦争でもね、クリスマスは休戦です。そんな日に見回りをしていたオーストリア兵の青年は、雪山で遭難しかけているイタリア軍兵士を発見します。
近づくと、なんと彼の幼馴染。
衰弱し凍死しかねない友人を彼はオーストリア軍の基地へ連れて行きます。
基地内の他のオーストリア兵たちは敵を連れてきたなんて!きっと囮で後をつけられたに違いないと非難するわけですが、自分の幼馴染を見捨てはできない!と庇うと言う展開が、この映画を見たとき、正直なところ、私も、まあ、映画だしね、こう言うシーンも書いちゃうよね。とは思いましたが、ピサーノ氏が生まれた当初、ご両親が住んでいたと言うベネト州のベルン地方のお家の前を通ったとき、ほんの数メートルで「戦争前はね、ここからオーストリア領で、税関、入国審査事務所があったんだよ」って、道1本挟んでじゃございませんか?の距離で。

あっ、もちろん、ピサーノ氏、100歳とかじゃないですよー。
彼が生まれるずっと前、第一次世界大戦の前の話でございますが、この距離を目にすると、あのテレビ映画のシーン、あながち、あり得たお話だったなと妙に納得。

ローマで通った歴史コースの教授の「歴史を理解する、学ぶと言うことは地理に長けていないとダメなんですよ」と言っていた言葉を、ふと思い出しました。








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by viabellaitalia | 2018-09-19 00:21 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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この夏のバカンスでトスカーナの山とドロミテの山に行ったんですが、山小屋のご飯が美味しいのにびっくりです!

それぞれの地域のお料理、素材が食べられ、山小屋なだけに 笑 お肉とか、お乳製品は山小屋の前で草をはむはむしている牛さんのです!とか、チベッタ岳でブー垂れたけど、すごい美味しかったヨーグルトの上にかかっていたブルーベリージャムも、チベッタ岳で採れたものとか。

下界では宣伝文句として、「0キロメートル」なんて言葉を使いますが、ここでは、そうしないと食材ないしー!なんだけど、これが美味しい。

北海道のスキー場の頂上レストランしか知らない私には、この地域性を押し出すメニューも新鮮でした。
ドロミテで、ちょっとハマったのがキュウリの酢漬け。これってピクルスだよね? なんだけど、もっと美味しかったです。
さらにドイツビールを置いているところも多かったです💓
ラガツォイはトレッキングしなかったので、ビールをいただきました。うひひひひ。


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ランチは軽めに前菜だけにしましたが、
これが意外にちょうど良い量でした。笑





ケーブルカーで登っていける山小屋も、宿泊施設併設と言うのも、ちょっとびっくり。
でも山小屋ですので、トイレの手洗いの水がね、石鹸を泡立ててる間に水流しっぱなしにしてたら、後ろから来たヨーロッパ系のおばちゃんに怒られました。汗

ラガツォイの山小屋は広いテラス席もあり、世界各国からきた観光客が皆さん、ご飯タイム。
チベッタ岳の山小屋では日本人男性とばったり会い、ラガツォイではめっちゃ、どう見ても日本のおばちゃんグループだわと思いきや、韓国のおばちゃんだったグループさんと言葉を交わし。
ヨーロッパからの観光客はワン’sも一緒に標高2700メートル。
第一次世界大戦の戦場跡でもあるドロミテ、今は平和に世界の人が集えて、こう言うのっていいな。



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思わずお砂糖一袋、お土産に頂いて来ちゃいました。



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お会計前のカウンターが。。。。
ヨーロレイホー。
ローマじゃ見かけない。。。。



初日のチベッタ岳登山の際に、念のためにリュックにお水とチョコレートなど持ちましたが、イタリアで山歩きをするなら、ぜひ山小屋ご飯、お試しください。素朴だけど、本当に美味しいもの見つけれますよん。









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by viabellaitalia | 2018-09-14 19:58 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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ラガツォイでオーストリア兵に会っちゃった!




というのは嘘です。

こちらの方は、ドロミテ地方の第一次世界大戦跡の数々の発掘調査に参加した歴史学者さんですが、毎年、8月の15日後の1週間、こうやって山の頂上に立ち、当時の語り部をしていらっしゃるそうです。
「彼女、イタリアの歴史を勉強しているんです。」なーんてピサーノ氏が、言っちゃって「日本にもぜひ、ここの話、伝えてくださいね」なんて言われちゃいました。汗


「ドロミテに来たからにはラガツォイ、見ないと!」と、トレッキングじゃなくって、ケーブルカーで頂上付近までいけるというので、ホッといたしましたが、本当にもう、言葉を失う雄大な景色です。
世界遺産のすごさを見せつけらた感じです。

この山々も第一次世界大戦でオーストリア軍とイタリア軍が壮絶な戦いを繰り広げた場所です。
特にこの辺りは山の中腹にトンネルを掘り、中に火薬を詰め、頂上付近に陣を取る敵軍を山ごと吹き飛ばすという坑道戦が行われた場所です。そのために山の形が変わったところもあるそうです。

この山はオーストリア軍が優勢だったのかな?
崖の手前や岩壁を掘って基地を作っていた跡が多く残っています。
岩壁の中のトンネル、見たかったけど、照明がない上にめっちゃ低くて狭い。その上、足元が泥で濡れてて、転んだらアウト。
ということで、入って見たけど、入口付近以上中に入れませんでした。
先日のチベッタ岳の登山で、全身筋肉痛でね、滑ったりしたら踏ん張る筋肉も残ってなかったの。



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よくぞこんなところにトンネルなんか掘ったよ!という、その向こうは断崖絶壁の岩を見てたら、いきなり向こう側からトレッキング客が現れて、岩を降りて行ったけど、私にはできません。。。。。



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こう言った窪みも全て当時、人の手で掘られ、
木造の小屋を建て、見張り台や基地ととして使っていたそうです。


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こちらはTre Sassiの第一次世界大戦博物館で展示されていた当時の写真




高所恐怖症ではないはずだけど、もう安全のための柵とかネットとか張ってないから、あっちこっちにいきなり断崖絶壁の口が開いてて怖いったら、ありゃしない。
中にはまさに、きわきわに座って、写真を撮ってる心臓が強そうな方もいましたが。

思い切ってきわまで行って下の方の岩壁を写真に収めると・・・・・ひええええええ、あんなところに階段が。
階段の向こうもいきなり断崖絶壁だけど、こうやって両軍にらみ合いをしていたのでしょう。


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峡谷の中の所々に、何かの発掘跡なのか、番号が振られて場所を限定している場所がありましたが、その前日に行ったマルモラーダの戦争博物館のガイドさんが、当時使われた地雷や爆弾がまだまだ、あっちこっちにあるんですよー、なんて言っていた言葉を思い出し、まさかとは思うけど、近寄らないようにいたしました。汗








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by viabellaitalia | 2018-09-12 19:27 | Buon viaggio通り | Comments(0)

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 画像提供 www.bildarchivaustria.at



Grade Guerra(グランデ グゥエラ) 偉大なる戦争 
イタリア人たちは第一次世界大戦をこう呼ぶ。

なぜそう呼ぶのか聞いてみると、「なにせイタリアが勝った戦争だからね」

いや・・・・・日本も勝ち組に入ってましたが、そんな大きく取り上げていない。
その前の日露、日清戰争や第二次世界大戦の方が大きく語られていて、返って影が薄い戦争のような気がする。
高校の世界史の先生が、古代ローマからフランス革命までに情熱を注いでしまって、確かこの辺りは入試まで自習でやってくれみたいな。

どうしてイタリア人たちは、これほどまでに第一次世界大戦に想いを馳せるのだろう? 
ずっとこれが、私の疑問だった。

ドロミテの山々の中で一番高いマルモラーダには、ヨーロッパ1標高が高いグランデ グゥエラ博物館がある。
博物館の入り口のフロントには戦闘服のイタリア軍兵士が常駐している。多分この博物館は軍の管轄なんだろう。



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今年は雪が溶けちゃってますが、
ここも昔の戦場跡 向こうの岩山のてっぺんにも、当時の見張り小屋跡があります。




マルモラーダはオーストリア軍が第一次世界大戦時に雪溪を掘って作った前線基地「氷の町」で有名な山である。
岩壁のそそり立った山の中腹一帯の雪溪に氷の町を作り、ここからイタリア軍の動きを見張り、攻撃を繰り返し、
イタリア軍は、そそり立った岩壁を登り、岩壁にトンネルを掘り、見張り小屋を建て、オーストリア軍を牽制していた。



と今の時代にこうやって文字で書いてしまうと、たった2行で済んでしまって、なんだか簡単なことのように思えるけど、
雪溪は常に少しづつ動いているものである。吹雪などでせっかく掘った道やそこに建てた小屋などを毎日のように雪をかき、作り直し、また昨日まではは安全だったところが、雪渓の地滑り?雪滑りで、いきなりぽっかりとクレパスが現れたり、寒さから身を守る小屋だって建材となる木材はマルモラーダの中腹には木は生えていない。切り立った崖を登りながら人力でもって上がらなければならない。
標高3000メートルを超える山の氷の中に作った町だもの、ガンガン温めてしまえば、雪は溶けるし、煙が基地の位置を敵にしらせてしまうので、高くはできない。でもそれが吹雪の時などは、基地や見張り小屋の中で一酸化炭素中毒の事故の原因になりかねない。
敵と戦う前に、この環境で生存するということがすでに過酷な戦いであったと言う。

この山を舞台に繰り広げられた壮絶な戦いは数回に渡る。一番有名なのは1917年9月26日の闘いだろう。
博物館にも大きく展示されていたけど、フラビオ ロッソ中尉率いる15人のイタリア軍の部隊が、オーストリア軍への攻撃ポイント設置作戦中に反撃にあい、実はいまでもこの時の幾人かの兵士たちは、この岩壁、雪渓の中で眠っている。イタリア軍だけではなくオーストリア軍の兵士たちもだ。


あれから100年、雪渓の位置もかなりずれたし、環境の温暖化でかなり溶けたが、現代は博物館の下の階にエレベーターで雪渓まで降りることができる。
ジモティー・ピサーノ氏、今から20年ちょい前の夏に友人たちとこの雪渓でトレッキング兼夏スキーを楽しんでいた時に、氷が解け出したところから、なんと当時の軍服、いや防寒コートを見つけ、博物館に知らせたことがあるそうだ。
マルモラーダの闘いは、オーストリア、イタリア双方、多くの命を失い、どちらが勝利したということもなく、両軍撤退した見捨てられたため、当時のものがそのまま雪渓の氷の中に残されていると言う。



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こっちの岩壁の穴も当時のもの


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歯磨き粉?


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当時のイタリア人将校用のテーブル再現
コーヒーミルがあるところで、イタリア軍のものとわかりますね。



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腹が減っては戦はできないので、フライパン。
トルタの型もありました。



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雪面の光の照り返しから目を守るためのマスクですが、
これって、見えんだろーよ!




博物館で当時の前線、戦況報告の8ミリフィルムを観た。
今でこそ、登山靴だって、登山の道具だってものすごく便利になっているけど、100年前の軍靴の滑り止めのビョウはなんとも危なっかしい。
それでなくてもドロミテの山々の岩壁は非常にもろく、戦いの前に基地移動の際の滑落事故も多かったらしい。

「彼らが、ここでイタリアを守ってくれたから、今がある。グランデ グゥエラはね、イタリアにとっては、イタリア統一の際に統一できなかった飛び地領地をイタリアに帰還させる、僕たちイタリア人にとっては民族統一の戦いだったんだよ。」

「もともとは同盟国だったドイツ、オーストリア、ハンガリーの同盟国が、イタリアの南チロル地方に侵攻したので、参戦したんだ。あの時の若者たちは、本当に自分たちの家族、国を守るために戦ったんだよ。」

そんなピサーノ氏の説明を聞きながら、イタリア軍が隠れた岩壁のトンネル跡を見上げる。
あんな切り立ったところに、あんな高いところに。。。。。。

第一次世界大戦、同じ側で私の母国は戦ったけど、国の思惑は、全く違うものだっただろう。
イタリアを守るために、偉大な戦争に散った若い命に、なにがしかのリスペクトの気持ちを表したくて、展示されている大砲の横で岩壁を見上げて敬礼をする。








最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



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by viabellaitalia | 2018-09-05 20:38 | Buon viaggio通り | Comments(0)