カプローナの塔


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正直、まだまだダンテ アリギエーリさん、よく学んでません。
此の前なんか、マッキアベリさんと一緒くたにしてしまいました。

だって、日本では世界史で、イタリアの詩人ダンテの神曲が、イタリア語の標準語の規範となった。のたった1行なんですもん。
全く個人的な見解なんですが、ダンテ アリギエーリの横顔の肖像画が有名ですが、私・・・・・彼の鼻が嫌いです。笑
なもんで、どうも勉強しようという意欲がわかない。(しょうもない理由で、すみません)


しかも、フィレンツェ人のダンテさん、ローマにいると、まず絡みません。

そんな中、私が歴史を学ぶのにローマで6年通った学校がダンテ アリギエーリ協会でしたが、なぜにローマでダンテ?と思いきや、ローマのフィレンツェ広場に建つ学校の建物が、昔、トスカーナ大公国大使館だったと聞いて、納得。

ローマだけど、中はいきなりフィレンツェでございます。その昔、ガリレオ ガリレイ(ピサ人)もお泊まりになっちゃった場所です。

ローマにいる限り、あんまり絡まない歴史上人物だったダンテさんですが、ピサに通いだすと、あっちこっちでその足跡にぶち当たります。

ピサの街中を歩いてると、ここはーダンテが、神曲で・・・・と。
ああ、ごめんなさい。私、ダンテさんのこともあまりよく知らないし、神曲なんか1行も知らない。
イタリアの大物俳優、映画監督でもあるロベルト ベニーニがたまに、テレビでダンテの神曲を朗読する番組をやりますが、神曲を知らないだけに、全然笑えなくってつまんない。しかも彼のかきくけこが抜けちゃうハフハフ、ハヒフヘホーなトスカーナ弁がわからない・・・・・・。

いつかはちゃんとお勉強しないといけないと思っています。

昨日の記事でも書きましたが、現在山火事で大変なことになっているピサのモンテ セッラに、この夏に行った帰り際、小高い丘のてっぺんにポツンと建つ塔を指差し、「ほら! あの塔は、詩人のダンテ アリギエーリがその昔、戦ったところなんだよ。」とピサーノ氏。

今はLa torre di Capronaと呼ばれますが、本当の名前はTorre degli Upezzinghi。
13世紀頃、ここには要塞、カプローナ城があったそうですが、1289年8月の16日にダンテもフィレンツェ軍の一兵士として戦ったカプローナ城の戦いのときに壊され、塔だけが残ったところです。さらにその後も、その土地が石切場として、どんどん採石されちゃって、下が断崖絶壁になっちゃたところだそうで、現在は・・・・・自殺の名所だそうです。汗

ダンテが神曲の地獄篇で、この時の戦いを書いている部分があります。

Per ch'io mi mossi e a lui venni ratto;
e i diavoli si fecer tutti avanti,
sì ch'io temetti ch'ei tenesser patto;

così vid'ïo già temer li fanti
ch'uscivan patteggiati di Caprona,
veggendo sé tra nemici cotanti.


休戦協定がなされ、恐々と出てくるピサ軍兵士たちの恐怖に怯えた顔を歌っているとか。

昨晩、ニュースに流れた、中々鎮火しないモンテ セッラの映像が、もうまさに地獄絵で。
このダンテが戦ったという塔の背後に燃え盛る山火事が、私にはまるでダンテの神曲 地獄篇そのままに見え、結構怖かったです。
ダンテって結構、執念深かったと聞いてますが、なんか残っちゃったのかしら?ってそんなことはないか。


やっぱり、ちゃんとお勉強しないとな・・・・・。



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Photo by http://www.sienanews.it








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by viabellaitalia | 2018-09-27 00:12 | Buon viaggio通り | Comments(0)