2018年 05月 11日
大切な友達に会いに行ってきました

今でも彼の曲を初めて聞いたときのことを覚えている。
いつものごとくソファーでうたた寝中、テレビから素晴らしいピアノの曲が聞こえてきて目が覚めた。
とても優しい旋律のピアノ曲なのに、心の底からなにかを感じて鳥肌が立ったのを覚えている。
演奏が終わり司会者の質問に答える彼は、今演奏が終わったばかりの曲のように優しそうで、ナイーブに見え、でも心の芯を揺さぶる演奏の中では見えた、なにか大きな強さは特別見受けられなかった。そのギャップが反対にとても興味を惹かれた。
テレビ番組は当時、私が勤めていたローマの広告代理店が入っていたテレビ番組撮影所の中に制作会社があり、きっと収録も同じ建物の中のスタジオのどこかだろう。
多分距離にしたら、100mか200m。こんな近くにこんな素晴らしい演奏をする人がいたんだ!と思わず、彼の演奏にどれだけ感動したか、めっちゃたどたどしかっただろうけどイタリア語でメールを書いた。
多分・・・・・もう12、3年くらい前のことだ。
テレビに出るくらい有名な人なんだろうから、お返事なんか全然期待していなかったのに、新進のコンポーザーでジャズピアニストだった彼は几帳面にもお返事をくれた。
その後、彼の作る曲はどれもヒットして、有名ブランドのコマーシャルソングにも適用されて、まさに一躍スターピアニストに駆け上がった彼、ジョバンニ アレッヴィ。
優しく、だけどどこか激情にも似た強さ、しなやかさがある彼の曲は、イタリアカオス暮らしの私をいつも力づけてくれ、寄り添ってくれた。
私の父が亡くなったときも、彼が送ってくれた言葉にどんなに支えられただろう。
とても不安症でパニック症候群だとか言うほど繊細な彼自身、彼の音楽はそんな暗闇から彼を救う光なのだそうで、本当に、彼の音楽にはそんな不思議な癒しの力がある。
彼の音楽に、言葉に勇気をもらってばかりなので、お誕生日にと彼の似顔絵を描いたのは、これも随分前。
7年ほど前のローマでのコンサートに行こうと、彼にコンサート会場で会おうねと言ってあったのに、2日前の夜に私は鉄の丘の病院に人生初の緊急入院となり、ドタキャンな上に突然過ぎて彼にも行けないとメールを各事さえできなかった。後からあのコンサートに言った日本人の方から、彼が会場に友達が来てるとステージから言っていたと聞いて、自分の不運さに地団駄を踏んだ。
それからも人生紆余曲折でいつまで経っても、なぜか彼のコンサートに行けない。
そんないつもの昨日の朝、夕方にローマの中央駅の本屋さんで彼の最新本の宣伝発表会のお知らせメールを発見した。
発表会は夕方の5時。
コンサートなんかだと郊外に住む私は帰宅が難しいので、つい足が遠のいてしまうけど、夕方の5時。
仕事だって、なにがなんでも今日中に仕上げなくてはいけないものはない。
こ、これは???? このチャンスはもう逃せない!
お昼でMacの電源を切り、ローマへの電車に飛び乗った。
ひとまず、ずっと彼に渡したかったあのお誕生日プレゼントに描いたイラストを大きく印刷したものを持ったけど、まあね、手渡しは無理だろうから、イベントのスタッフさんに渡せばいい。
「あの・・・・これ、ジョバンニに渡していただけますか? ミカからって言っていただければきっとわかると思うので。日本人の友達のミカって言っていただければ。」ってちょっと厚かましいかなとは思うけど、ここまで来たのだから、やっぱりこのイラストは彼に渡って欲しいので、必死。笑
「本当に友達なら、彼も気づくでしょ? ここから入場するからそのときに渡したら? ほんと、みんな友達って言うのよね。」
やっぱりね、鼻で笑われちゃいましたが、意外にもあっさりとこれが手渡しできちゃいまして、私もびっくり。
こんなに長いおつきあいですが、実はお互い初めて会うので、わかんないだろうし、こんなに有名でファンだって一杯いる人で、そのうちのほんの一人に過ぎない私ですし、きっと覚えてないだろうなと思いつつ「チャオ、 ジョバンニ。ミカです。」と言ったら、「ええええ! ミカなの? ええええええ!!! やっと会えたね!!! うわー!!! 抱きしめてもいい?」
初顔合わせなのに、まるで再会。もう感無量です。
目の前にいる(昨日なので居たですね)のジョバンニは、思っていた通り、辛いときにメールで励ましてくれたあの言葉通りの人でした。
昔、父が「イタリアで暮らすのって大変そうだし、なかなか思うようにことが運ばないようだけど、あの子は不思議なことに良い友達に巡り会う運があるよな。イタリアでも友達たちがあの子を助けてくれてる。男運は今イチだけど友情に関しては強運だよな。」
って、一言多いんですけど、父の言う通り、ジョバンニとの出逢いも強運って言える! 言っちゃう!