2018年 01月 08日
ピサの赤い旗、ピサの十字架
ピサの町を歩くといろんなところに、ピサの十字架を発見します。
赤地に白い十字架。ピサが海洋共和国として栄えた当時からのピサの旗。
今でもピサ人たちの心を熱くするんだろうな。
中世のイタリア半島は法王派と神聖ローマの皇帝派と各国がそれぞれ別れていたとき、ピサは常に皇帝派だったそうで、その忠誠の報償として赤髭王と呼ばれたフリードリッヒ1世に与えられたそうで、白い十字の部分はピサ市民のシンボルとして後に付け加えられたものだそうです。
白い十字は1017年に時の法王ベネディクト8世からサルデーニア島をサラセン人から開放するために戦ったピサにこの十字の紋章が贈られたもので、十字を囲む12個の○はイエスの12使徒を表すそうです。
シンプルなデザインですが、その後ろにすごい歴史がありますね。意味も深い!!!!
ピサの海洋共和国としての歴史はその後、衰退しますが21世紀の今なお、ピサの人たちはこの歴史を誇りに思っているんだろうな。
我がピサーノ氏、ご両親はサルデーニア出身です。じゃあ、DNAはサルド(サルデーニア人)じゃん!と思いますが、彼の中ではこうやって彼が生まれるうん世紀も前にサルデーニアを守ったピサを思っちゃっているんですよね。そして自分が育ったこの土地ピサ。時空を超えて「ピサ人」と思い込んでいます。
イタリア人にとって自分はイタリア人である前に何人であるか?
ピサ人、ローマ人、カラブリア人、シチリア人、ミラノ・・・・・・こっちの方が今でも重要です。
私が住むローマ郊外の鉄の丘は最近できたばっかりの町で歴史がたったの75年しかない。
イタリアではありえないくらい歴史がない町です。
元々は隣町セーニの平地と呼ばれていた場所が大戦中に大きくなり町として成り立っただけで、セーニだって紀元前の歴史があります。
まさに成り上がり者で 笑 ここにはイタリア中から仕事を求めて移住してきた人たちの2世代、3世代目の人たちが暮らしている、簡単に説明しちゃうと、町サイズですがイタリアの北海道。爆
北海道も日本中からの移民、開拓民のミックス地帯ですよね?
鉄の丘もイタリアのミックス地帯で、歴史だけではなく他地域ほどイタリア特有の郷土愛、カンパニリズモがない。
鉄の丘人の郷土愛の対象は、彼らのオリジン、起源がどこか?で鉄の丘自体ではないんです。
「私はフリウリからお母さんたちが移住してきたの。でも夫はトスカーナのルッカの方から来た家族ね。」とか、エミリアロマーニャ出身とカラブリアの出身のご両親を持つ鉄の丘人とか。
でそんなミックスな鉄の丘人たちは、特別、俺って鉄の丘人とは思っていない。
ローマが近いので、ローマで働いているので、俺ってローマ人とか、俺は・・・・・チョチャーロ(ローマの奥座敷、フロジノーネ県民)とか、かなり無茶なこじつけをしています。
ちなみに鉄の丘はフロジノーネ県ではなく、ローマ県ですって。
イタリアの北海道で暮らす道産子の私には、ピサの赤い旗、十字架を愛して止まないピサ人たちが熱い。
イタリアに暮らしつつも、初めて感じたカンパニリズモです。