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ローマ以南のイタリアしか知らない私、今回の始めて、ベネト地方の上に行って来ました。
ここまで来たから、せっかくだから州に越えて、トレンティーノ、アルト アディジェ行くよ!とつれて行ってもらった町はカナゼイ。 Canazeiと書きますが、日本ではカナツェーイの方が知られているのかな?

トレンティーノ アルト・アデイジェと言えば! 大好きなカンティーナがあるところ162.pngとしか、前情報がなかったあたくし。行って見てびっくり。

ここは・・・・・・どこ?




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「ほら! 見てごらん、まさに南チロル地方の伝統的な建築様式だろ?」と言われて、そうかー!!! ここが噂の南チロルなんだ!

オーストリアのチロル地方とアルプスを挟んで南側の地方を南チロル地方と呼ぶんだそうで、ここは第一次世界大戦まではオーストリア領でございました。
ベネトのベルーノ地方に入った途端、道路標識もドイツ語表記との二重表記で、南イタリアしか知らない私には、もう外国でございます。




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大好きなワイン名もドイツ語っぽくって発音出来ません。

ドロミテ地方のこの辺りの木造のお家の飾りがすごい。
この地方の木工職人さん達、すごいだろうな・・・・・・・・と変なところで感心しちゃいました。

南イタリアの石造りの家、大理石の飾りしか知らなかった私には、この木のお家というのは、ものすごく異質で外国、ヨーロッパに来たぞーと気持ちが上がりました。









最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



# by viabellaitalia | 2018-09-10 20:29

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 画像提供 www.bildarchivaustria.at



Grade Guerra(グランデ グゥエラ) 偉大なる戦争 
イタリア人たちは第一次世界大戦をこう呼ぶ。

なぜそう呼ぶのか聞いてみると、「なにせイタリアが勝った戦争だからね」

いや・・・・・日本も勝ち組に入ってましたが、そんな大きく取り上げていない。
その前の日露、日清戰争や第二次世界大戦の方が大きく語られていて、返って影が薄い戦争のような気がする。
高校の世界史の先生が、古代ローマからフランス革命までに情熱を注いでしまって、確かこの辺りは入試まで自習でやってくれみたいな。

どうしてイタリア人たちは、これほどまでに第一次世界大戦に想いを馳せるのだろう? 
ずっとこれが、私の疑問だった。

ドロミテの山々の中で一番高いマルモラーダには、ヨーロッパ1標高が高いグランデ グゥエラ博物館がある。
博物館の入り口のフロントには戦闘服のイタリア軍兵士が常駐している。多分この博物館は軍の管轄なんだろう。



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今年は雪が溶けちゃってますが、
ここも昔の戦場跡 向こうの岩山のてっぺんにも、当時の見張り小屋跡があります。




マルモラーダはオーストリア軍が第一次世界大戦時に雪溪を掘って作った前線基地「氷の町」で有名な山である。
岩壁のそそり立った山の中腹一帯の雪溪に氷の町を作り、ここからイタリア軍の動きを見張り、攻撃を繰り返し、
イタリア軍は、そそり立った岩壁を登り、岩壁にトンネルを掘り、見張り小屋を建て、オーストリア軍を牽制していた。



と今の時代にこうやって文字で書いてしまうと、たった2行で済んでしまって、なんだか簡単なことのように思えるけど、
雪溪は常に少しづつ動いているものである。吹雪などでせっかく掘った道やそこに建てた小屋などを毎日のように雪をかき、作り直し、また昨日まではは安全だったところが、雪渓の地滑り?雪滑りで、いきなりぽっかりとクレパスが現れたり、寒さから身を守る小屋だって建材となる木材はマルモラーダの中腹には木は生えていない。切り立った崖を登りながら人力でもって上がらなければならない。
標高3000メートルを超える山の氷の中に作った町だもの、ガンガン温めてしまえば、雪は溶けるし、煙が基地の位置を敵にしらせてしまうので、高くはできない。でもそれが吹雪の時などは、基地や見張り小屋の中で一酸化炭素中毒の事故の原因になりかねない。
敵と戦う前に、この環境で生存するということがすでに過酷な戦いであったと言う。

この山を舞台に繰り広げられた壮絶な戦いは数回に渡る。一番有名なのは1917年9月26日の闘いだろう。
博物館にも大きく展示されていたけど、フラビオ ロッソ中尉率いる15人のイタリア軍の部隊が、オーストリア軍への攻撃ポイント設置作戦中に反撃にあい、実はいまでもこの時の幾人かの兵士たちは、この岩壁、雪渓の中で眠っている。イタリア軍だけではなくオーストリア軍の兵士たちもだ。


あれから100年、雪渓の位置もかなりずれたし、環境の温暖化でかなり溶けたが、現代は博物館の下の階にエレベーターで雪渓まで降りることができる。
ジモティー・ピサーノ氏、今から20年ちょい前の夏に友人たちとこの雪渓でトレッキング兼夏スキーを楽しんでいた時に、氷が解け出したところから、なんと当時の軍服、いや防寒コートを見つけ、博物館に知らせたことがあるそうだ。
マルモラーダの闘いは、オーストリア、イタリア双方、多くの命を失い、どちらが勝利したということもなく、両軍撤退した見捨てられたため、当時のものがそのまま雪渓の氷の中に残されていると言う。



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こっちの岩壁の穴も当時のもの


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歯磨き粉?


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当時のイタリア人将校用のテーブル再現
コーヒーミルがあるところで、イタリア軍のものとわかりますね。



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腹が減っては戦はできないので、フライパン。
トルタの型もありました。



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雪面の光の照り返しから目を守るためのマスクですが、
これって、見えんだろーよ!




博物館で当時の前線、戦況報告の8ミリフィルムを観た。
今でこそ、登山靴だって、登山の道具だってものすごく便利になっているけど、100年前の軍靴の滑り止めのビョウはなんとも危なっかしい。
それでなくてもドロミテの山々の岩壁は非常にもろく、戦いの前に基地移動の際の滑落事故も多かったらしい。

「彼らが、ここでイタリアを守ってくれたから、今がある。グランデ グゥエラはね、イタリアにとっては、イタリア統一の際に統一できなかった飛び地領地をイタリアに帰還させる、僕たちイタリア人にとっては民族統一の戦いだったんだよ。」

「もともとは同盟国だったドイツ、オーストリア、ハンガリーの同盟国が、イタリアの南チロル地方に侵攻したので、参戦したんだ。あの時の若者たちは、本当に自分たちの家族、国を守るために戦ったんだよ。」

そんなピサーノ氏の説明を聞きながら、イタリア軍が隠れた岩壁のトンネル跡を見上げる。
あんな切り立ったところに、あんな高いところに。。。。。。

第一次世界大戦、同じ側で私の母国は戦ったけど、国の思惑は、全く違うものだっただろう。
イタリアを守るために、偉大な戦争に散った若い命に、なにがしかのリスペクトの気持ちを表したくて、展示されている大砲の横で岩壁を見上げて敬礼をする。








最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



# by viabellaitalia | 2018-09-05 20:38 | Buon viaggio通り

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ドロミテ初日のチベッタ岳登山で、(幸いにも)ジモティー・ピサーノ氏が足を負傷したので、次の日からトレッキング不可となり、

「今日はフニヴィア(ケーブルカー)で登っていけるところに行こう!」やれやれ。


まずは、ドロミテ連峰で一番高い山、マルモラーダに行こう!いや、連れていかれました。


ここのケーブルカーが祝50周年だそうで。




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山、いや、これまた岩壁絶壁のてっぺんにちょこんと見えるケーブルカーの到着駅を見上げるのも、結構怖いぞ。

だって、断崖岩壁の上に本当、ただ、ちょこんと人工物が見えるだけで、その高さがすでに「どんだけ高いの!」とビビらせます。


「ここのケーブルカーは、頂上まで、2回乗り換えなんだよ。いま見えるのは1回目の乗り換え駅ね。」って、下からはその向こうにある2つのケーブルかー到着駅が見えません。


それにしても、こんな断崖絶壁の山肌に、よくもこんなケーブルカーの駅を作ったものだ。


支柱や建設資材をどうやって運んだんだろう? 

昨日、登らなかったけど、チベッタ岳の頂上付近の岩壁と同じようなものだもの。身軽じゃないと登っていけないし、建設資材ってめっちゃ重いし。

トラックや、クレーン車とか登っていける道もなければ、勾配じゃない。馬だって無理だろう。



「ここね、50周年だろ? 僕が生まれた頃ね、父やおじさんたちがこれらのステーション駅の建設工事に携わったんだよ。」


「父さんは、ここの始発駅、おじさんは上の駅の工事に携わったんだよ」


えええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ!!!!




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知らない観光客さん。
そんなきわきわ行って、滑ったら、大変だよー!




彼のお父さんを、ここで思い浮かべる。サルデーニア出身の人が、こーんな雪深い北イタリアの奥に来ていたというのも、驚くけど、小柄な彼が、この岩壁を機材抱えてえっちらおっちら登るイメージは、想像できない。



トスカーナに帰宅してから、「マルモラーダのケーブルカーに乗って来たよ!」とお父さんに報告したら、まるで少年のようなキラキラといたずらっ子のような目をして、「そうかー! 私はね、下の始発駅担当だったけど、たまに上に登るのに、作業員用のね、簡易スキーリフト見たいのがあったんで、それで登るのが楽しかったなー」


すっごい高度をビューンと登っていくケーブルカーも中継地点の駅に近づくと一度、スピードダウンするんですが、このときね、かなりケーブルカー揺れます。結構、怖いくらい揺れるのに、スキーリフトじゃ、怖さ倍増だろうよ・・・・・・



近くにいた、この山リピーターのイタリア人が彼の友人たちに、ちゃんとつかまってないと、揺れるよ!なんて言っていたのを小耳にしていたので、つり革に捕まらなきゃと思っていたんですが、あたし、小さすぎて届きません。

確かに、この辺り長らくオーストリア領だったので、この辺りの人は南イタリア人と比べるとかなり身長は高い。

南イタリア基準でちょうどいい、日本人のあたくしはドロミテ基準のつり革は無理でございます故、窓に這わせてあった背もたれにしがみついておりました。




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いじわるにしか思えない高いつり革




今日は、ケーブルカーで行けるところ。なんて聞いていたので、前日の登山よりは軽装で登りましたが、前日の標高2700メートルを大幅に抜き、いきなり3200メートルって、マジ、寒かったよ。汗


ケーブルカーの切符売り場で皆さん、リュックからダウンジャケット取り出して着込んでおりました。(行ったのは8月真ん中だから)








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# by viabellaitalia | 2018-09-03 19:33 | Buon viaggio通り

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1軒目のRIFUGIO COLDAI




「先にどんな山か言ってたら、来なかっただろう?」

確かに・・・・・・・。 

本当に私、登山は嫌いなんです。
下山の時の足腰の踏ん張りがないので、つるん、ステンと転んで捻挫までするし、帰りには泥だらけになるので嫌い。

中学校の頃の登山遠足で、帰りのバスの中、先生たちに「お前に泥がついてるのか、泥にお前がついてるのか・・・・わかんないくらい泥だらけだな。」というのが、ものすごーくうまく表現してるくらい散々なことになるので、嫌いなんです。

なのでトレッキングの範囲でしか山は登ったことがない登山は超初級者。

そんな初級者でも2時間弱の登山でなんとかたどり着いた山小屋で少し早めのお昼ご飯。

「この後に、3時間弱歩くので、ここでお昼しておこうよ。」とはジモティー・ピサーノ氏。
山小屋の後ろはもうすごい断崖が聳り立っている。まさか、あそこ登らないよね? 

「登らないよー! 機材持ってきてないじゃん!」

機材より、テクニックです。私、もう18年スポーツらしいことしてないって。
って実は、ここまでもかなり急勾配の道や岩ゴロゴロ道を登ってきたので、かなりゼーゼー。すでに体力の限界を感じつつあった。

「何食べようか? せっかくだからさ、郷土料理のパンとハムとかお肉とか香料を一緒にまとめたものなんかどお? 見た目巨大パンおにぎりなんだけど。」

と言われた時、正直なところ道産子はラーメンが食べたかった。
かなり体力の消耗を感じ、食欲もなかったので、こういう時はツルツルとしたものが食べたい。

郷土料理を進めるピサーノ氏の提案をやんわり断り、ツルツル系で、ミートソースのスパゲッッティを注文した。
疲れた時、甘いものより、もそもそしたものより、ツルツル、しょっぱい系が食べたくなる道産子のあたくし。



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まだこの時は、ちょっぴり余裕をかます


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トレッキングシューズを買ったお店の店員さんの声が
頭の中をぐるぐる
「ソールは冬山用じゃないから、氷とか、雪はダメよ!」
えええええええええん!!!!



ググッと中ジョッキのビールでスパゲッティを流し込み、3時間弱の溶けた雪溪跡の小砂利道をてくてく。時々雪が残っていて、足もと滑るので、キャーキャー!!!
横はもうすぐ1000メートルほど高い断崖がどーんとそそり立っている道を歩くのは、絶景なんだけど、あまりにも男性的な人を寄せ付けない光景が結構怖かったり。
実際、2軒目の山小屋を後に下山し始めた時に、雪渓の上の岩壁の方から、岩が落ちる音を何度か聞いた。
あぁ、下に居なくてよかったよ。

次にたどり着いた山小屋は、最後の1時間ほどがすごい急勾配の道なき坂を登って行く。
途中でてっぺんに立つ山小屋を見上げては「これって嫌がらせ?」と叫びたくなる。
下に降りるにも、足元が不安定な坂だし、その向こうには2時間ほどかかった雪溪砂利道しかない。さらにその向こうには2時間弱の急勾配下り道だし。

「あともう少し。この山小屋の後は下山しよう」というピサーノ氏の言葉に励まされ、土と岩の坂を登って行く。

山小屋の窓辺にはゼラニウムが飾られ、中に入るとほんのり暖かい。
まさか・・・・・ストーブはつけてないよね?という温度。

手前には牛たちが放牧されて、なんだかハイジの世界。
でも、とにかく喉乾いた! なんか飲みたい!!!!!!!!!



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緑の向こうはいきなり崖だよー
2軒目 RIFUGIO TISSI





山小屋の奥の空席にどっかりと座り込み、ぜーぜー。ああああ、年を感じるわ。

「何か頼もうか?」というピサーノ氏に、「ビール! 大ジョッキ!!!!」と即答する道産子。

「でええええええ!!! こんな標高が高いところでアルコールなんかダメだよ!」

って、どんだけ、標高あるの?と思うも、高さを言われたって多分よく、わからないだろう。
後で教えてもらったが2300メートルほどだったらしい。

道産子的には冬にスキーで山の頂上に行くと、キーンと冷えたビールを煽るか、冷たいソフトクリームを食べるかがお約束だったので、
体がすでに欲している状況だったのだけど。。。。。。

「ここはね、牛乳が美味しいんだから! 牛乳にしなよ!」とピサーノ氏。

ここまで来て、牛乳はないでしょー!!!!のシティガールの口を封じて、ピサーノ氏が私のためにヨーグルトを頼んでくれる。

ヨーグルトかよ!とぶーぶーブー垂れたけど、最初の数口で、意外にも喉の渇きを和らげ、疲れ切っていた体の食欲を取り戻させた。


やっぱり、物事って、「郷に入っては、郷に従え」でございます。

この後の下山ルート、ビールなんか煽ってたら、ぜーったい生還できなかったし!

下山途中で一軒、寄った山小屋では、大人しく、井戸で冷やしてたスイカをいただきました。(ちょっと学んだ道産子です)


後日、地元新聞では、この山の頂上部分の断崖岩壁でローマからの登山客が滑落死したと、出てました。。。。怖かったよー!!!!!










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# by viabellaitalia | 2018-08-31 20:41 | Buon viaggio通り

ドロミテ時間

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トスカーナからドロミテへの出発がすっかり遅れてしまい、ホテルに到着したのは夜8時前。

チェックインをする間に、夕食をサーブするレストランホールから美味しそうな香りがする。

朝食時間と場所を説明してくれるフロントのおばさまにピサーノ氏がすかさず、「夕食はここで取れますか?」と尋ねる。




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木の使い方が北海道っぽい



うん、確かにその日は朝早くから色々用事を片付けたり、長旅もあり、できればホテル内でゆっくりご飯食べれたら、楽かもね。

「厨房に聞いて見ますが・・・・今日は結構予約が一杯なので」と結局空席なしで、近所の美味しいレストランを紹介してもらった。

「徒歩で10分ほどです。ホテル〇〇からの予約だと言えば、わかりますから。ただ、もう8時過ぎてますので、お急ぎください。」

へええええええ、今日はこの町のレストランは大繁盛なんだ。8時過ぎでもうどこも満席なんだ。と、道産子ロマーナは単純に思った。



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ワンプレートメニューで色々試せて美味しい
ポレンタはお約束。焼きチーズ(わーい、ハイジの世界)
きのこの炒め物。
子ヤギのミニステーキ
うさぎさんの角煮などなど。


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そして、デザートといえば、ストゥデル! うまうま!



ホテルから予約してもらったレストランは、本当に何を食べても美味しく、確かに席も満席。
でも、まだ8時なんだし、2回転、3回転目のお客さんだって入ってくるだろうに。
そんなにお腹も空いていなかったので、正直、2回転目の9時半とか、10時ごろでも私的には全然問題はなかった。
どだい、うちは普段ならガッツリ南イタリア時間で、お昼は2時から。夕食は大体夜10時である。

実の日、さあ、今日はチベッタ岳に行くよ!と張り切るピサーノ氏。
フロントに鍵を預ける時に、「今日は遅くに戻ってくるので、夕食の予約を先に入れたいんですが」

「かしこまりました。2名さまですね? 夕食時間は7時半から8時半です。メニューをお知らせしますので、ご希望のものをチェックしていただけますか?」

って・・・・・夕食時間早くない???????? と思うのは、えせロマーナの私である。


この日の「チベッタ岳に行くよ」の行くよはトレッキングではなく、マジな登山で、しーかーも、後で聞いたら、初心者用のコースではなく、ちょっとエキスパート用だった下山ルート。もう本当に泣けた。

しかも、途中で我がジモティー兼ガイドのピサーノ氏まで足を痛め、行きは良い良い帰りはマジ怖い のそのまま、下山に6時間かかり、やっと民家があるあたりまで山を降りたのが夜9時近く。あたりは真っ暗。

「・・・・夕食逃しちゃったね。」

が私たちの下山第一声である。とほほほ。
ひとまず、携帯の電波が届くところにたどり着いてから、ホテルには夕食には間に合わないことを伝えた。

下山した場所は町外れで車を止めてあるところまでは、まだ5kmほどある。ピサーノ氏が開いてるバールに入って、タクシーを呼べないか聞いている間に、外人の私がホテルに、今、下山したので夕食はキャンセルしたいと電話を入れたので、最初ホテルの方はどうやら、外人のあたくし、山の中で遭難したと思ったらしく、すわっ!!!とばかりに「シニョーラ! 大丈夫ですか???」と折り返し電話までいただいた。

残念ながら5kmほどの道のりではタクシーは来てくれないそうで、10時間以上の登山でヘトヘトの足を引きづり、車を止めてあるところまで歩く。

車を止めた場所の真ん前に、程よく「ビールとドイツ風ウィナー」と大きく書かれたビアホールがあったので、此れ幸いと食いっぱぐれた夕食はここだ!とレストランに入る。

「2名ですけど、席ありますか?」

「すみませんねー、もう営業、終わりなんです。キッチンもうオーダー終わってて。」


え? キッチン終わりって?と時計を見たので、時間をよく覚えている。 9時26分である。

9時半前にオーダーストップってビアホールで?????????????????????????????



ローマでは、8時前にピザ屋に行ったら、怒られます。
まだ釜に火いれてないとか、火入れたばっかりで焼けないとか、怒られます。
確かにレストランで夜11時過ぎに行くと、嫌がれるけど9時半で閉めたって・・・・・・・・・

アンビリバボー・・・・・・・・・

こういう時、イタリアにはコンビニがないので困ったことになる。

あああああああ、ドロミテ時間。宵っ張りには厳しい。。。。。。

ホテルの夕食は3日目にしっかりリベンジいたしましたが、8時前にはレストランに降りた良い子のあたくしたち。



ちなみに、ドロミテからトスカーナに帰った日も、交通渋滞を避けていたら、すっかり、とっぷり日が暮れて、
「夕食、どこかで食べて行こうよ。」と近郊のサン ミニアートという町へ寄ることにした。

夜も10時近くの町の道は、夕涼みの散歩をする人で溢れている。
これはドロミテでは見かけなかった光景である。

サンミニアートのレストランのドアを叩いたのは夜10時。

「2名ですけど、席ありますか?」

「こちらの席か・・・・・あちらか、どちらがいいですか? 今すぐテーブル整えますね」と前のお客さんの後をさっと片付けるウェイトレスさんであった。








最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!



# by viabellaitalia | 2018-08-31 01:17