アウレリア街道終着点だった町 ルーナ

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でっかいどう(街道)じゃなくって、柱がでかい。


「古代のローマの町に行こうよ!」と連れていかれたオルトノーヴォ。その昔はルーナ港町と呼ばれていたようです。

元々はリグーリアに居た民族に支配された土地で、地中海の交易港として、エトルリアやギリシャの船が盛んに使っていたそうです。

そんな有利な地理的条件をローマ人は見逃さなかった。紀元前177年に2万人ほどのローマ人を移住させ、ローマの植民地を作っちゃった。

そんな起源を持つ町です。

共和制ローマ、ローマ帝国初期に力を増し、栄えたのですが紀元後4世紀の地震で被害を受け、忘れ去られた町。

ローマから続くアウレリア街道の終着点はピサであったとされますが、その後ピサからルッカ、さらにここルーナまで伸びていたそうです。

今でも町のメインストリートであった旧アウレリア街道の跡があります。

カエサルがガリアに向かった頃、アウレリア街道もどんどん伸びたらしいですが、もしかしたらルーナのこの道を彼も通ったかも。



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4世紀の地震で人々が山の方、高い場所に生活を移してしまったので、ここに残る遺跡たちは、紀元前とその後の4世紀までのところで完璧に時間が止まっていますが、その後々、中世、近代になって忘れ去られた平地に畑を興して住み着いた農民たちもいらっしゃり、現在この遺跡群は、そんな一般の民家や農園と土地を境いにしています。入場料を払い、博物館に行く道に普通に民家が軒先を構えていたり、古代都市のメインストリートから、古代劇場へ向かう獣道が、民家の軒先を金網で遮っていたり。汗


博物館の切符切りの方たちが、どう見ても近所のおじいちゃん、おばあちゃんでよもやま話に花を咲かせているところを、「すみませーん。」と声をかけて切符を見せたり。

ルーナが栄えたのはカエサルの後継アウグストゥスの時代だそうで、博物館の中には、当時の市民の生活を垣間見ることができるものが一杯です。キッチンなんか、正直、昭和初期とあまり変わらないんじゃないかな?という感じ。


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どこかの邸宅の床材(大理石)もまだ残っている



夕暮れにはちょっと早い時間、ルーナの町のメインストリートからテアトロへの道を歩いていたときに、なんとなく当時もこんな時間にローマ市民の人たちが思い思いに着飾り、「今日の見せ物はなにかしら?」なーんて良いながら夫婦が手をつなぎ歩いていたり、子供たちが走り回っているイメージを肌が感じる。


そう言えば、こういう感覚は去年、ヴォルテッラの古代ローマ劇場の多分、観覧席部分を歩いていたときにも感じたっけ。

それくらい生活感が残る、感じる事ができる遺跡です。


ちなみに、ピサーノくん、ここをトスカーナな感覚で歩いてましたが、ここがピサの支配下にあったのは、相当大昔で、現在はリグーリアです。汗


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最後までおつきあいありがとうございます。Grazie per la visita!

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by viabellaitalia | 2017-09-06 20:03 | Buon viaggio通り | Comments(0)